先日、4年目にしてようやっと保育士試験に合格しました。やっと「試験勉強から解放される!」という思いの方が強く、(そもそもそんなに勉強してないじゃん!と言われそうですが)そういう意味で嬉しかったのですが、保育士の試験に受かったからといって、すぐに保育士になるのはムリじゃないか?というのが、正直なところです。

それよりも、実際に子どもたちといっぱい遊んで、子ども関係の本をたくさん読んだりした方が、よっぽど実践的だなあ、と試験勉強をしながら思っていました。

もちろん、法律的なこと制度的なこと、栄養学的なこと、病気のこと、発達のことをなどを知る、という意味においては、まあいいのかな、と思ったりもしましたが、実際の子どもと対峙するとなると、これまた別の能力が問われる気がします。

こういう子どもと対峙する能力となると、いかに子ども自体を観察しているか?ということが大事になってくるのかな?と思ったりもします。

 

■実は意外と頼りになる子ども

先日、長男と次男を連れて、公園に遊びに行きました。

うちの場合、遊ぶ時は子ども自身に何をしたいか決めさせて、ルールや遊び方を決めるようにしています。7歳と2歳の兄弟なので、当然何も決まらないし、だいたい喧嘩して弟が泣いてお終いになります。

どっちかが文句を言ってきても、「自分たちで話し合いなさい」といって、基本的には相手にしません。

基本的には、いつも見ているだけで放っておいてます。一切口を出しません。

こういうスタンスで接しているのですが、親が見ていないところでは、意外と上手にやっています。

というより、お兄ちゃんが、弟の面倒を意外と見てくれており、「頼むよ!」と言って任せると、責任感を感じるのでしょうか? 親が見ているときよりも、格段にしっかりと面倒を見てくれているのをこっそりと覗いています。

弟に「トイレ大丈夫?」と気遣ってあげたり、転んだ時も起こしてくれたり、他の子に弟がいじめられそうになったりしたら守ってくれたりと、実は結構頼りになるのです。

 

■子どもに「よろしくね」と言って任せているか?

ここで保育士業界の大先輩でもある中川李枝子さんの『子どもはみんな問題児。』(2015 新潮社)に書かれていることを引用します。

<小さい子には分からないと、きめないで。堂々と話して、「よろしくね」と言ってご覧なさい。必ず分かってくれます。示す場がないだけで、子どもは思っているよりずっと偉いのです。そして役に立ちたくてたまらないのです。上手に付き合わなくちゃ。>

子どもは誰でも役に立ちたがっている、というのです。これは、おそらく小さい子でも、みんなが思っているのではないかと思います。うちの次男も、おもちゃの片付けをした後に、「ありがとう!助かったよ。すごい役に立ってるよ!」とか言うと、ニコッとして、他のものも片付けてくれようとしたりします。

この気持ちを上手に汲み取る、というか引き出すことも保育士の役割の一つかな?と思ったりもしております。

さらに本書には、面白いことが書かれています。

<子どもはあなたよりちょっと賢い。だって誰でも、自分にはないいいところを持つ人を結婚相手に選ぶでしょう。だとすれば子どもには、お母さんのいいところと、お父さんのいいところが入っているのですから。>

こうなると、もしかしたら自分の子どもからこそ学ぶところが多くあるのかな?と思いますが、保育士の仕事は子どもとの遊びを通じて、自分が見習うべき点、手本となる点、見習うべき点をたくさん見つけることではないか?とさえ思っています。つまり子どもこそが、保育士の先生なのかな? と思ったり。こういう心構えで接することが大切なのでは?と勝手に思っています。

 

ということで、こうした視点で我が子をちょっと見てみてください。思いがけない発見があったりするかもしれません。

日本だと、自分の子どもは自分の「所有物」という感覚を親が無自覚に持っていることが多いのではないか?と感じますが、海外では、自分の子どもであっても一人の人間として接する傾向が強いので、子どもへの接し方は、より客観的にしている感じがします。(人によりますかね〜?)

自分の子どもであっても、一人の人間として信じてリスペクトする。こんな大人が多いことも、オランダでの子育が楽だなあ、と感じる遠因かもしれないなどと新米保育士としては思ったりしています。

それにしても、保育士試験についてですが、2次試験の実技では、20年近くコンテを書き続けて、プレゼンも何百回もしてきているのに、「絵画」(お題が与えられたシチュエーションの1コマを絵にする)のテストで30点、「お話」(幼児向けに決められた課題図書を話して聞かせる)が31点という、かなりギリギリ(計60点以上で合格)だったのが、地味に納得いってませんが。。。

Ellaine Cruz