8750313731_e31de388c24ヶ月間、アジアを家族で周って帰ってきた日本。それまでいた地域と比べると極寒ですが、年末年始と最も日本らしい季節を堪能して、すっかり日本の居心地の良さを堪能しています。

 

■新学期が始まった

自分はまだ育休中ですが、長男は3学期が始まって、元気に日本の幼稚園に通い始めました。といっても、人見知りでシャイなので、まだ慣れてません。そもそも通っていた幼稚園なので、慣れてません、というのも変ですが、2学期をすっかりまるまる休んでしまったので、ちょっと心の準備がまだできていないようです。

といっても、朝行ってしまえば、十分楽しんでいる様子。もともと、仲の良い友達と遊ぶのが大好きだった幼稚園なので、友達は、みんな首をながーくして待っていたくれたようです。ありがたいことです。

 

■幼稚園もとても居心地が良い

もともと小さな家庭的な雰囲気のある幼稚園なので、シャイな長男にはとても合っています。本人も、アジアにいた時は、”早く日本の幼稚園に行きたい”と言ってました。

やはりシンガポールの幼稚園では、慣れないことばかりで、当初は知らない友達ばかり、わからない言葉で、相当がんばって通っていました。

そして、なんと言っても、友達も先生も人種、国籍がバラバラ(20カ国以上)、言葉も宗教も多様という環境でしたから、そういった多様性のある世界を経験したこと自体が初めてでした。

それに比べると、慣れている、慣れていない、ということ以上に、やはり日本の均一性、さらに同質な考え方(住んでいる地域や年齢などで、かなり考え方が近くなる気がします)には、安心できる居心地の良さを無意識に感じているようです。

これは、日本に住んでいると大人であっても、無意識に感じる安心感、居心地の良さではないでしょうか。

 

■日本と世界の多様性の差

いやいや、日本の中でも考え方は多様だし、子どもたちも、そこまで均一、同一ではない、という声もあるかと思います。日本国内だけを見たら、そうなのかもしれないのですが、世界と比べると、国内のそうした差は、かなり微差に感じます。

MITメディアラボの初代所長ニコラス・ネグロポンテ所長は均一性の弊害について以下のように述べています。

<均質な社会、同質な思考法は、創造力の多様性への障害になる>

日本における幼稚園(保育園)は、日本のすべての学校教育機関(期間)の中で、最もクリエイティブだと思っているのですが、そうした機関(期間)に、多様性があることは、本当は望ましいのかもしれません。

 

今の子どもたちが大人になる時代は、日本にいても、どうしても世界の多様性に巻き込まれていくと思います。そうした時に、その多様性を拒否せず、受け入れて、さらに自分のアイデンティティを保ちながらも、それに対峙しなければならない、そういうことが求められる世代です。

そのためにも、早くから多様性という経験を積んでおくことは大切だとつくづく思います。考えてみると、世界の子どもたちは、すでにそういう体験をしているんですよね。

日本では、ちょっと人と違ったり、考え方が異なると、いじめられたり、変わった人、と見られますね。いかに人と違うことをするか?に価値がある世界とは真逆なんですよね。

日本は居心地が本当にいいので、意識的にそういう環境を作らないと、ますます差がつく気がします。多様性が楽しめる子ども(大人)になって欲しいと思うのですが、うちのシャイボーイは、11か月の弟を家来にして遊んでばかりです。

でも、この感覚、実は親も一緒かもしれません。

George A. Spiva Center for t