2019年4月に行われた、東京大学の入学式での祝辞が話題ですね。ネットでは賛否両論あるようですが個人的には、とてもいい祝辞だったと思います。リンクに飛ぶ時間がない人のために、個人的にいいなあ、と思ったところ、簡単に引用してみます。

<あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。>

ここでいいなあ、と思ったところを引用しましたが、あえて、かなりひねくれた見方をして残念だなと思った点をあげるとすると、これが日本の最高学府の入学式の祝辞だったことと、それを自分も含めて「良い祝辞だった!」と言っているところでしょうか。

というのは、世界では子ども達に対して、こういうことは小さい時から普通に言われていることではないか?と思うからです。

 

◆世界は圧倒的な格差社会

「一億総中流時代」と言うのは、今は昔?の「昭和」時代のことで、最近は日本でもかなり格差が広がっている、と言われています。実際、日本の子どもの貧困率はかなり高いと言うデータもあります。

そして世界では、もちろん言うまでもなくかなりの格差社会です。格差社会を前提として社会システムが作られていると言っても過言ではない、と個人的には思っています。

一方、日本では「みんな中流」と言うのが前提で、社会システムが出来ているように感じます。

アジアやヨーロッパはもちろん、格差が良いとか悪いとかの問題ではなく、世界では歴然とした「格差がある」ということが前提になっているのです。

なので東大に入れた、ほんの一握りのスーパーエリートに向けての祝辞の中で言われていた、『恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。』という部分は、当たり前のように、子どもの時から(恵まれた境遇にいる子どもに対しては)言われていることです。というより、これが前提となって社会が作られています。

ヨーロッパに来て、びっくりしたのは、例えばホームレスに対してお金や食べ物をあげる人が、とても多いことです。日本では、どうしてもちょっと避けたり、出来るだけ近づかないような感じですれ違ったり、無視したりすることが多いと思うのですが、こちらでは結構な数の人がお金をあげたりしています。そもそも無視をする人が少ない。(もちろん、こちらでも無視したり、あからさまに嫌がる態度を見せる人もいます)

この辺の違いは、格差社会を生きる上で、子どもの頃から「恵まれている人は、恵まれていない人を助ける義務がある」という前提を繰り返し教わるからではないか?と思います。(宗教的な教えも関係すると思いますが)

なので、このことが東大に入るようなスーパーエリートに対してだけ、言われていることがちょっと違和感がありました。こういうことは、もう子どもの頃から繰り返し言われ続けるのですから。

 

◆弱者を思う気持ちが薄い?

こう考えると、イチロー選手が引退会見で「外国にきて、初めて弱者の気持ちが分かった」という発言もとても共感があります。我が家も、今オランダに住んでいるので完全にアウェーにおります。そう、完全に弱者の側にいます。

オランダはかなり住みやすく、基本的に差別にあったり、排除されることはないのですが、でも、そういうことを「される側」にあることは、つねに意識しています。つまり「弱者」の気持ち、立場が分かるのです。これはイチロー選手の言っていたことと同じだと思っています。

これも考えてみると、日本では弱者に対しての配慮がないのではないか?と思います。先に挙げたホームレスに対しての対応の仕方なんかもそうです。

いや、でもこれは日本にいた時に、自分がそういう立場ではなかったので、単純にそう思うだけかもしれません。実際に日本にいた時はホームレスの人に対して、自分も悪気なく上述のような態度をしていました。

だからこそ、日本でも子どもの頃から、今回の祝辞で述べられたようなことを教える必要があるのではないか?と感じたのです。

最後に、再び祝辞から別の箇所を引用します。この中の「東大」を「日本」に置き換えて読んでみてください。

<あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。>

ほら、こうやって読むと、これも子どものうちから伝えるべきことではないか?と思いませんか?あるいは、子どもを持つパパやママこそ知っておくべきことではないか?と。

大学生の入学式に伝えるのでは遅いのではないか?と言うのが、ちょっとした違和感でした。

 

と言うことで、みなさん新生活スタート、おめでとうございます。格差があり、弱者がいることが前提の社会生活をちょっと意識してみてください。逆にみんなが、とても過ごしやすくなると思います。オランダの社会は、そんな感じがするのです。

あっ、でもオランダ人は自転車に乗ってる時は、みんな自分のことだけを考えて、弱者(歩行者)のことは全く配慮しませんので、オランダに来る時には自転車にはお気をつけを。完全なる弱肉強食のサバイバルが繰り広げられていますので。