4068054575_74c4045841_o育休明けからの、単身赴任になり早3ヶ月。それなりに生活ペースも出来てきました。特に、母子チームの順応性は素晴らしく、すっかり”父親なし生活”を満喫しているようにさえ見えます。

離れてみて感じるのは、子どもの成長ペースの早さです。

幼稚園で問題児だった長男は、自分が年長になったとたん、年少さんのお世話を喜んでするようになり、妻は周りのママ友に恵まれて、すっかり夫不在生活を満喫。1歳になった次男は、超自由人としてのびのび成長中、と三者三様の成長をしているようにみえます。

 

■多様性は認められない?

一方、仕事に復帰して感じたのは、日本という世の中やコミュニティーが、かなり窮屈しているのではないか?ということ。これは、昨年アジアを放浪していた時との比較でもあります。

そして、こうした雰囲気は、個人の成長を阻害する気がしています。

例えば、”世の中の窮屈感”を、子育て環境に当てはめると、”親はこうでなければならない”、”子育てはこうでなければならない”といった感じでしょうか。

大げさに言うと子育て(だけに限らずですが)において、多様性が存在しない感じがするのです。例えば、シンガポールのような超多民族国家と比べると歴然とした差があるかと思います。

そこで、なるほど、と思った文があったので、雑誌『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』No.101に大学教員の桜井智恵子さんの”正解求めより、土台つくり”という記事から引用してみます。

<正解の子育てなんてあるわけないのに、きゅうくつな世の中のなかで、まるで正解があるかのように思わされています。-(略)- 目の前の子どもにとって、素朴に、毎日のどんな暮らしが幸せなのか、考えてみることがむずしくなっています。>

子育てにおいて、親として正解を求めたい気持ちもよく分かるのですが、やはり、そもそも一人一人が全然違う子育てにおいて、万人に共通する正解は存在しないですよね。

子どもの育ちを考えると、多様性がカギなのではないか?と思ったのです。

うちであれば、兄弟でも全く違った性格だったりします。

 

■子育てには正解を求めない

さらに例えば、最近一つの”子育ての正解”として、よく言われる”子どもの気持ちを受け入れなさい”ということに対して、桜井さんは、こう書いています。

<全部こどもの気持ちを受け入れて、自分の気持ちを殺すなんて、いい子育てにはなりそうもない。「わがままがすぎるんちゃいますか」と思えば大きな声も出るし、怒らない子育てをするなんて、そんなん無理でしょう。

怒ってしまったあとで、「ごめんな母さんあのとき機嫌が悪くてなあ」と許しあう関係をもち、大人とこどもが折りあって暮らせればハッピーなのに。>

考えてみれば、こうした大人と子どもの関係は、昔は当たり前に存在していたように感じます。

自分が子どもの頃は、結構理不尽なことで怒られたりした覚えもありますが、そうした経験を通して、”あのときは機嫌が悪かったのかな?”とか子ども側も察することができるようにもなった気がします。

自分も親になって実感しますが、人間なので常に一定な気持ちではないですし、こうした不完全なことも飲み込んで子どもは、意外と勝手に成長していったりするものですよね。

 

”親がなくとも子は育つ”、と言うように、正解子育てを追求するのではなく、子どもの”多様性を認める”ということもあっていいのではないかと思いました。

我が家も、弟くんは、1歳にして完全に自由人ですが、お兄ちゃんがすごい世話をやいてくれており、兄弟でもここまで違うのか?という育ちの多様性を感じます。

”こうでなければならない子育て”、やめると結構楽だったりもします。笑。

Chuck Simmins