どこへ行くのにも、「ママ、ママ!」とか「パパ、パパ!」だったうちの長男が、最近、学校に送りに行くと、そそくさと友達のところへ行くようになり、すぐに「バイバイ!」となってきました。

まあ、親としても自立の一歩かな?と思って嬉しいのですが、オランダの子どもたちは、基本的にはとっても自立しているように感じます。

もちろん個人差もありますし、一概には言えませんが、赤ちゃんの頃から自分の部屋で一人で寝たりと、自立する環境は歴史的にもしっかりしている、という印象があります。

その代わり、親子のスキンシップはしっかり取っているし、なにより小学校時代は少なくとも家族で夕食を食べることが普通だし…。

ま、日本的感覚だと「自立」が、ややもすると「孤立」になっているような気もします。一方で、「自立」できない理由に、過保護、特に近年だと「超過保護」ということもあるのかな?と思ったりしています。

 

■子どものトラブルを解決するのは子ども

さて、先日、公園に長男の友達ファミリーと遊びに行った時のこと。

長男と友達が、公園に置いてあったストライダーて遊び始めました。確かに、パッと見は公園の遊具のようにも見えたのですが、あとで分かったのですが、それは他の子どもの持ち物で、たまたまそこに置いてあったものでした。

どうやら、持ち主の子どもたちは3歳くらいだったのですが、置いてあったストライダーがなくなったと思って、大慌てで来たのは、その子たちのママでした。遠くでストライダーで遊んでいた長男たちを見つけるとそこに一直線。ちょっと、怖いくらいの勢いで飛んで行きました。

で、長男とその友達のいる場所に行ってみると、まあ、特に怒られたわけではなく、「自分の子どものだから返してね」という話をしている様子。

その様子が、まるで大人同士の話し合い、というか、大人に話しているかのように見えました。

幸い、うちの長男も、その友達も、その程度のオランダ語は喋れるようになっているので、「鍵がかけてなく置いてあったので公園のものかと思った」、みたいなことを話して、ストライダーを返したようです。

自分は少し遅れて現場に行った&オランダ語がわからない、ということで、全くその場の話し合いには加わらなかったのですが、長男たちも、取り返しに来たママも、はたから見るとかなり大人同士の話し合いをしているように見えたのです。

 

■子どもを一人の人格として認めている

これ、例えば、日本で同じようなことが起こった場合、想像されるのは、勝手に持って行った子どもの親が出て来て、「スイマセン、スイマセン」となったり、相手の親が、その取った子どもの親に「返してください」とか言いに来ることが多いのではないか?と思ったのですが…。

ま、これは自分の日本からの経験からなので、全部に当てはまることはないかと思いますが。

つまり何を言いたいのか?というと、オランダでは、たとえ子どもであっても一人の人間として認めており、認めているがゆえに、こうした状況では、相手の親に何か言うのではなく、あくまでも当事者の子どもに直接言う。

「子どもを一人の人格としてきちんと認めているだな」と感じたのです。

その証拠に、子どもとのやりとりで解決した後は、親である自分に対しては一切何も行って来ず、むしろウィンクとかして、以上、終了!って感じでした。笑。

まあ、日本とはだいぶ物事の推移の仕方が違うのではないか?と感じましたが、こんなところ、オランダはぶっちゃけ、非常に楽です。

でも、これって元を正せば、子どもを一人の人格として認めているからかな?と思ったりしたのでした。

 

■学校も家庭も過保護になっていないか?

親同士が子どもの喧嘩に出て来たり、ちょっとしたトラブルで、親同士もギクシャクしたり、っていうこともありますよね? もちろん、オランダでも当然あるのかもしれないけど、変に気を遣いすぎず、子どもへの信頼感がベースにあり、ストレートに物事を言う国民性とかも、良いように作用しているのでは?と思いました。

東京大学名誉教授の汐見稔幸さんの著書『本当は怖い 小学一年生』(2013年 ポプラ社)には、そもそも学校や幼稚園の集団が小さくて家族的であるヨーロッパと、日本の一斉教育を主体とした幼児教育の違いについて、こんなことが書いてあります。

<ヨーロッパでは(-略-)先生が「ああしなさい」「こうしなさい」と指示を出さなくても、子ども達の間で一定の秩序ができあがる。というより、むしろ、子どもが自分たちで秩序を作っていく。「今は座ったほうがいいな」「自分だけ騒ぐと目立ってしまうな」「食事の時間だから静かに座るべきだな」と各人がその場の状況、仲間の様子、大人たちの対応を見ながら判断する。つまり規律は大人たちから強制されるものでなく、子ども自身が日々の活動の中で発見しながら身につけていくものなのだ。>

<それに対して日本では、一人の先生がたくさんの子どもを見ないといけないので、(-略-)先生はしょっちゅう「指示」を出すことになる。言うことをすぐに聞かないと、声が大きくなる。ときには荒げるように声を出すこともある。>

まあ、「そもそもヨーロッパでは同じことを一斉にさせることもあまりない」とも書かれていますが、これを続けていると、「指示をされないと動かない」、「自分で問題を解決しない」、「考えない」となってしまう、と書いてあります。

このこと自体は、全部が全部そうでもないのでは?と思うところもありますが、先生の「過保護」?とでもいうべき問題については、これって家庭教育でも全く同じではないか?と思っています。

特に日本の優秀なママさんたちは、子どもへ求める要求レベルがそもそも高かったり、他の子どもと比べたり、なんていうこともあり、ついつい口すっぱく、あれこれ指示してしまうことがあるんではないか?と。つまりそれは「超過保護」なのではないか?と。

これが積み重なると、結局、子どものため、と思ってやってたことが、逆の結果を生んでしまう気がしています。

 

ということで、個人的には子どもへは、できるだけ注意しないようにしていますが、ヨーロッパでは、こういうスタンスでいても、今のところOKなのが楽だな、と感じています。

日本だと、子どもが問題起こしたときに、親が何にもしないと「あそこの親は全然、注意しない!」とかってなっちゃいますよね? これも、また難しいところだな、と感じます…。

「何もしない」というより、「見守る」っていうのが一番、大変なんですけどね。ま、「超過保護」も大変かもしれないですけど、超過保護って、実は子どもを信頼していないことの裏返しでは?なんて思ったりもしたのですが…。親子の信頼関係、ありますでしょうか??

Thomas Kohle

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