自分が受けた「勉強」や「教育」を子どもにさせますか?
先日、佐賀県武雄市の樋渡市長の「世界一行きたい小学校」を作る教育改革の会見、面白いなあと思いました。というのも、昨年、樋渡さんに武雄市で実施した「反転授業」の話を聞いたことがありました。(その時の話は『WooRis』「知らずに子育てできるか!親が知っておくべき噂の「反転授業」」)
実は、個人的には、自分たちが受けてきた教育を今後も続けていたら日本はヤバいだろうなあ、と思っています。教育改革をドンドン進め、官民が一体となり、それぞれの良いところを積極的に取り入れていくというのが、今回の武雄市の教育改革です。詳細は樋渡市長のブログにも資料が出てます。
そして、武雄市と組むことになった民間の組織、「はなまる学習会」。(その代表の高濱さんの著書を『WooRis』で記事にしたのがこちら「将来食いっぱぐれないために!わが子に育ませたい「3つの力」」)ニュースなどでフィーチャーされているのは、子どもたちがハイテンションでドンドン問題を解いていく様子。 一瞬、あまりのハイテンションにびっくりする人もいると思います。とはいえ、もちろん、それだけやってるわけではありません。ようは勉強に対して、子どもがそれだけ嬉々として、というか、もう楽しくて楽しくてしょうがない、という状況で取り組むという工夫をいろんなところでしています。
■ “Study”は勉強じゃない!
先日、会社のOBで先輩の家田さんから、「元電通の佐藤雅彦さんが昨年、紫綬褒章を受賞された時のインタビューが面白い」と言われて見てみました。その中で佐藤さんが話していたのは、日本では英語の”Study”を勉強と訳していますが”Study”の語源は、ラテン語の”Studious”であり、この言葉は元々は”夢中になる”という意味だといいます。”夢中になって取り組む”という意味なので、撮影スタジオとか、編集スタジオ、音楽スタジオなんかも同じで、一つのことに集中して取り組む空間、という意味だと思うのです。
つまり、”勉強”と訳されている”Study”というのは、元来は、夢中になって取り組む、という意味なので、例えば、先の「はなまる学習会」が、面白くて面白くてたまらない状態で勉強に取り組めるのは、まさに”studious”の状態で、語源に沿ったものになります。たまたま日本では”Studay”がいわゆる机にかじりついて行う”勉強”と言われているもなのですが、べつに”夢中になって取り組める”ならなんだっていいんだと思います。世界の教育は、もうそうなっている気がします。面白くも可笑しくもないことを続けるのは、やっぱり厳しいし、そこから得られるものが、仮に”いい大学に入ること”とか、”いい会社に入ること”だとしたら、日本ではその価値が親の時代より下がっている気がします。
■ “Education”は教育じゃない!
また、以前このブログにも書きましたが、(「教育ってどういう意味?」)”教育”という意味を表す”Education”は”教えて(正しく)育てる”ことと思いがちですが、その語源であるラテン語の”educare”の意味は、”外に引き出す”という意味です。つい”Education”というと正しく教えないと、と思いがちですが、本来は、その人が持っているものを上手に引き出すことなので、もはや正反対なニュアンスです。
そう考えると、”Study”=勉強、”Education”=教育も、全然違ったイメージになりますよね。教育については多くの意見があると思いますが、こんなことも知っておくと良いかもしれないと思いました。いずれにせよ、日本の教育は変革期にきている気がします。
平成25年秋の褒章 佐藤雅彦さんインタビュー :文部科学省(良い話なのでぜひ全篇見て欲しいのですが、該当箇所は17:30あたり〜)
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