「人工的よい子」になってない?夏休みの「悪」が必要なたった1つの理由
夏休みもボチボチ終了ですね。子ども達は、そろそろ宿題やばいなあ…と尻に火がつくころでしょうか。
自分が中学生の時は、ちょっと悪くなってる奴がいたり、かわいくなっていてる女子がいたりと、夏休み明けは久しぶりに会う子も多く、微妙に緊張していた思い出があります。
うちの長男は、真面目(というか気が小さい)なので宿題は毎日キチンとやり、早くも幼稚園に行く日をカウントし始めています。
■夏休みは子どもの「悪」が育つ?
今の子どもたちが、どういう夏休みを過ごしているのか、正確には分からないのですが自分が子どもだったころとは大きく違う気がします。ま、当たり前ですが。
昔はサマーキャンプとか、サマースクールといった類のものは、そこまで多くなく、せいぜい夏期講習くらいだった気がしますが、最近はサマースクールやワークショップ系が多いですよね。しかも楽しそうなものが多い印象です。
みなさんの中にも、そうしたスクールやキャンプに子どもを通わせた人もいるのではないでしょうか? 中には子どもを海外のサマースクールに参加させた人もいるかもしれません。
ところが、昔の「夏休み」というと、必ずヤンキーになってくる子がいたり、ちょっと不良っぽくなってくる子がいました。
大人になって振り返ると、意外と夏休みのちょっとワクワクドキドキするような、背伸びをしているようなヤンキー化というか不良化というか、なんらかの「悪」の体験が、ちょっと羨ましくもあり、必要だったのかな?と思ったりもします。
■人工的なよい子が増えた?
この「悪」の必要性を分かりやすく書いているのが、元京都大学名誉教授の河合隼雄さんの『大人になることのむずかしさ』です。
<子どが自主性を獲得するためには、時には親の言いつけに反してでも行動してみることが必要だ。-(略)- いうならば、子どもが真のよい子になるためには、適切な悪の体験を必要としているのである。>
やはり、夏休みに不良化するのは、ある意味、その子にとっては必要なのでしょう。
そして、
<彼らは自分の力で、うまく善と悪の相対化という難しい課題を「自然に」やり遂げるものである。>
と書かれています。
この相対化を体験して、子どもは自分なりの価値観を作り大人になるのだそうです。
今の世の中は、必ずしもすべての「悪」が「悪」ではなかったり、見方によっては「悪」が「善」にもなったりと、一概には言うことが難しい複雑な時代なので、自分が体験することで自主性を獲得しなければなりません。
しかし近年は昔と比べると、親が子どもに関わりすぎていたり社会からの期待が大きかったりするために、「自然に」自主性を獲得する余地がないと言います。
<大人は子どもに対する監視を知らず知らずのうちに強め、「自然」の良さを失っているのである。このために人工的なよい子とでもいいたいような子どもが最近では増加したと考えらえる。>
人工的なよい子は、適切な「悪」を体験していないので、一瞬良いように見えて、脆かったり、大人になって取り返しのつかない問題を起こしてしまったりするというのです。
そういう意味では、宿題を溜め込んだり、夏祭りに行って、ちょっと悪い友達と仲良くなったり、ケンカしたり、というのは子どもにとって必要なのかもしれませんね。
うちの長男は、パパに似て非常に臆病で真面目なので、なかなか「悪」をしないのが逆に気になっています。それに対して1歳の次男が結構、「悪」なのも気になっています。ママに似たんだと思います。次男は…。
ちなみに不良化、ヤンキー化を奨励しているわけではないので、誤解ないように。
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