5436962535_975a6a4502_bうちの6歳の長男と1歳の次男は、かなり性格が違います。基本的に同じ環境で、同じように接しているのですが、全然違うタイプです。おそらく、みなさんの子どもさんも、兄弟姉妹で全然違う、ということも多いのではないでしょうか。

うちの場合は、長男がシャイで泣き虫で、甘えん坊で、細かいところに異様にこだわるタイプ。次男は、あっけらかんとしたお調子者タイプです。

見た目は、お兄ちゃんはママ似で3mmの坊主っくり。弟はパパ似でオンザ眉毛のマッシュルームカット。全く違うのですが、並んでいるとなんとなく兄弟に見える、といった感じでしょうか。

見た目も中身も2人は全く違う個性です。

 

■均一には価値がない?

おそらく元来、すべての子どもたちはみんな違っていて、特に日本では大人になって社会に出て行く過程で、違いがなくなっていくかのように思えます。

もちろん細かく見れば個人個人は違うのですが、日本の中ではその違いは、そこまで大きくなく、むしろ均一化された?工場労働者を作っていくかのような教育がなされている気がします。

かの大前研一さんは『グローバルに通用する異能を開化する』(2015 ビジネス・ブレークスルー出版)の中で、こんな話をさてれいます。

<「これまでの日本は平均的で質のよい人材を育ててきた。これまでの大量生産時代はそれでもよかったのである。ー(略)ー

ところがこれからのネットワーク社会で求められるのは、突出した個人である。上述のように日本が今のような生活レベルを維持したいのであれば、世界レベルのリーダーになれる人材を養成していかなくてはいけない。ところがそういう人材をどうやれば育てることができるのかという議論がまったくないのが日本なのだ。」>

つまり大量生産時代で、物は作れば売れて、常に右肩あがりの成長を続けている時代の教育と、物は作っても売れずに、右肩あがりの成長は見込めない混沌とした時代の教育は大きく変えないといけないと言うのです。

平均的で質の良い人材を育ててきた今までの日本の教育では、世界のリーダーとなるべく人材が輩出されないと言っているのです。

日本だとついつい、“これからの時代のグローバルに通用する教育”という教育方法があるとそっくりそのまま全員でやり始めて、「はい、これで安心」となってしまうのではないかと思うのですが…。

もちろん、そんなことではないようです。

 

■これからの時代に必要なのは異能?

では、一体、何が必要なのか?大前研一さんは、続けてこのように述べています。

<私の答えは「異才」である。それも、この答えなき世界で答えを見つけられる“考える力”を持った「異才」である。ユニークな人材と言ってもいい。「答え」のない世界で解を見出せる、突出した発想と能力を持った異色の人材が日本には決定的に不足しているのだ。>

で、実はこうした「異才」やら「異能」は、何も教育界だけの話ではなく、現在、日本の社会全体で求められています。

例えば、総務省<「異能」ベーション>なるプログラムがあり、世の中の「異能」を国を挙げて応援したりしています。

自分たちの世代のように、子どもの時はできるだけ均一な人材を育てる教育を受けてきたのに、大人になったら突然、「異能」だ!と言われても、困りますって感じですが(笑)とにかく、今の子どもたちには、「異能」が求められているようです。

 

ということで、我が家の兄弟の特徴はそれぞれの良さと捉えて、それらを伸ばすことを意識しています。

だから例えば、「夜中にトイレに行く時には、抱っこしてトイレまで運んでいかなければならなく、さらにトイレが終わるまでドアの前で立って待ち、決まった立ち位置から微動だにしてはいけない」、といった長男の全く意味の分からない細かさに付き合ったり、「どんなに眠くても朝起きた瞬間、両手を挙げてハイテンションで“ウェ〜イ”をしないといけない」という次男の陽気な要求にも答えています。

「個性」を「異能」と捉えて、それを伸ばすには、ある程度の周りの理解と協力が必要なんではないでしょうか。

これからの日本の教育、どうなるんでしょうかね?最近では、いろいろ試行錯誤されている先生たちもいますから、楽しみでもありますね。

Carissa Rogers