実は親にしかできない!? コンピューターに出来ないことはどうやって学ぶ
AIやテクノロジーの発達によって、「人間の仕事がなくなる」と最近、盛んに言われています。
実際、日本でも官僚の作る国会答弁をAIで作る動きが始まっていたり、(『官僚が作る国会答弁の原稿など、AIに任せてしまえばいいのでは?』)、シアトルでのアマゾンの無人レジ店舗(『アマゾン、レジなしスーパーをシアトルで開店』)や、ドイツのインダストリー4.0を体現しているアディダスのスピードファクトリー(『アディダスの全自動工場「スピードファクトリー」は何がスゴいのか』)などなど、世界中でこうした動きが加速しています。
オランダでも、すでにいくつかのスーパーでは無人レジを導入していたり、銀行窓口では、ほとんど現金を扱う業務はしておりません。ATMはおろか、ショッピングや仕事上の決済はもちろん、税金の振込、還付などなど完全にネット使用を前提としたサービス設計になっています。(すでに現金自体に触ることが少なくなっている)
なので、いろいろなところで、大幅な人員削減がなされている、あるいはこれから削られるんだろうなあ、と実感することが多いのです。少し前にも大手銀行が多数のリストラを発表したばかり。
こうなると、これから大人になっていく子どもは何を学べばいいのだろうか? と疑問が起きてきます。
もちろん仕事のために「学ぶ」とか「学生時代を過ごす」ということではないのですが、やがて大人になる子どもたちの出て行く世界を、今の大人たちが少しでも関心を持って見ることは大事だと思うのです。今の大人が生活している社会前提が、ガラッと変わるんだろうなあということを知っておく必要があると思っています。
あくまでも、これからの時代に適応できるのか?という意味で、自分が子どもの時に受けてきた教育だと厳しい気がしてしまいます。(誤解なきように、念を押しますが、「すべての日本の教育が良くない」と思っているわけではありません。むしろ、日本の教育のおかげで今の自分はあると思っています。)
今ある多くの仕事がコンピューターに取って替わられる、というこれからの時代に向けて、子どもたちはコンピューターに出来ないことを一体、どうやって学んだら良いのでしょうか??
■コンピューターにできないことは何か?
「教育とはコンピューターにできないことをすること」という前提で、実際に今、世界中の多くの大人が教育改革に取り組んでいます。
テクノロジーの圧倒的な進化は、社会自体の変化スピードを超速にして、子どもの成長スピードをはるかに超えています。ですから、その分、周りの大人がより先をイメージする力が必要だとも感じています。
もちろん、完璧に未来を予測することは不可能なので、そういう意味では何の準備をしても、ダメじゃない?という話もありますよね。これに対して、「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすこと」と言ったのは、パーソナルコンピューターの父とも言われるアラン・ケイですが、(TED『アラン・ケイの考える、アイディアについてのすごいアイディア』)未来を創り出すと言われても…という気もしますよね。
ではコンピューターにできないことって、なんなんでしょうか? 汐見稔幸先生の『本当は怖い小学一年生』(ポプラ社 2013)には、こんなことが書かれています。
<人間の頭はもっともっと柔軟に働く。コンピューターをコントロールできる力は欠かせないが、同時にコンピューターではできない力をもっと伸ばしていかないと、人間が人間であることを失ってしまう。コンピューターにできないことは、感じるということだ。面白いという気持ちを育てること、あるいは疑問を持つこと、あるいは感情で判断すること。「なんて不思議なんだろう」「きれいだね」「ほっとするね」、人間しか感じ得ない感情や感性を、体験を重ねながら豊かにする。学校をそんな学びの場にしていかなくてはならない。>
そう、ここには一言もいわゆる従来の「勉強をしなくてはならない」とは書かれていないのです。
これからの社会に必要なことは、このことばかりではないでしょうし、これすらどんどん変わっていくかもしれません。実際に、この本が書かれた2013年と、2017年の今では、コンピューターやITは驚くほど進化しています。
しかし、こうしたことも含めて、大人も子どもも一緒に考える場こそが学校とか、これからの勉強ではないかな?と思ったりします。
■宿題がないオランダの学校
オランダの小学校には、基本的に一切の宿題がありません。(特に下の学年は)親によっては、宿題をやらせるなんて”時間の無駄”、”遊びの時間が減る”、”家族の時間が減る”、と文句を言う人もいます。
これは将来の社会変化を見据えて、勉強はやっても無駄という考えから最近こうなった、というのではありません。
そもそもオランダ人が学校や教育に求めている価値感が日本と違うからです。
実際、ここでも良く書いてますが、いわゆる学力は、日本の小学生の方がオランダより全然高いです。うちの長男は特に教えていないのに、算数が好きなようで、学校では一人で上の学年の算数をしているようです。(と言っても、日本と比べたら全然レベルが低い)
でも、これからの時代に、人より算数ができることが役に立つか?というと、かなり意味がないのでは?と思います。というか、役に立つポジションを作ればいいけど、すでに我々の大人が経験しているように、算数が出来て社会で得をすることはあまりなかったのではないでしょうか? (と言うより、自分ができなかったから、そういう立場になったことがない)
先の本にはこんなことも書かれています。
<ヨーロッパの小学校でも、計算式を書くまではやるが、あとは基本的に計算機に任せている。以前ドイツの高校で数学の授業を見学する機会があったが、全員が計算機を使って計算していた。なぜ筆算ではなく計算機を使うのかと先生に尋ねると、「社会に出たときに筆算でやることがあるか、ということです。だったら計算機をしっかり使えた方が役に立つ」と明快な答えが返ってきた。>
このように、教育界も早くAI社会に適応した教育システム(これ自体が難しいんですが)にシフトする必要があると感じます。
なんでも合理的な考え方をするオランダでは、こうした傾向がかなり顕著です。無駄なことを極端に嫌います。冒頭に挙げた銀行の例などは、まさにこの体現です。
そういう意味では「頭で考える」ということも大事ですが、「心で感じる」というのが、特にこれからの時代を生きる小さな子どもの教育には大事なんではないか?と思ったりしてます。もしかしたら結果的に、宿題のないオランダの小学校時代の生活は、今後の世の中を生き抜くためには大いにプラスになるのでは?という気もします。
結局、普段の家庭での子どもとの生活において、いかに子どもと一緒に心で感じる体験をするか?っていうのが大事になってくるんではないでしょうか。
宿題をやる時間があったら、くだらない馬鹿話や、意味のないふざけあい、など子どもが小さい頃にしかできないことを、一緒にやって心から笑ったり、感動したりすることを、どれだけやれるか?というのが親の腕の見せ所かもしれませんね。
冒頭から、しちめんどくさいことをいろいろと書きましたが、(新米)保育士的には最後に結構、大事なことを書いたつもりです。。。というか、ただの汐見先生のパクリですね…。すいません。
woodleywonderworks
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