すいません。いきなりタイトル、ちょっと煽りました。すいませんw いや、もうそう感じてしまうほどの嬉しい衝撃を受けたことがあったので、ついつい煽ってしまいましたw

年をあけても一向に減らないコロナ。それどころかオランダではロックダウンが当然のように延長されています。そして、ロックダウンされようが、それが延長されようが全然感染者数が減ってません。一方でワクチンも始まっていますが、なんとなく2020に続き、2021もコロナイヤーなのか?という予感が漂っています。

そんな中ではありますが、セレンディップの第2期のキックオフをしました。セレンディップというのは、教えない「オランダ式」のオンラインスポーツ&アートスクールです。

 

なぜそんなに上手くなるのか?

先日終えた第1期に続いて、始まった第二期。新メンバーも迎えメンバーも多彩に日本全国はもとより、世界にも参加者が広がりつつりあります。

で、1期を終えた時に、我々事務局が感じたある種の自信というか、確信がありまして。それは子どもは、その子にあった適切なアドバイスをすれば絶対に伸びる、ということ。「伸びない」のは、その子の責任ではなく、いいアドバイスをしてあげられない周りの大人の責任だ、ということです。

ただ、もちろんこれは難しくて「Aをすると良い」というアドバイスは、必ずしも全員に有効か?というと、全くそんなことはありません。また「Aをすると良い」という3週間前のアドバイスが、同じ子に5週間後にも有効か?というと、これもまた違います。

この辺が難しいところでもあります。

そして、この難しい問題を解決するために我々がとったアプローチが2つ。

1つ目は、まずは子ども個人に寄り添うこと。なので全ての種目で全てのアドバイスは、完全にカスタムメイドです。つまり個別指導です。ただ、この個別指導がミソでもあります。我々は、個別指導だからと言って、なんでもかんでも個別に指導していてはダメだという仮説を立てました。これはオランダでの教育環境からヒントを得ました。ちなみに、日本の多くの個別指導は、個別指導だからこそ、懇切丁寧に手取り足取り教えてくれます。ある意味、当然ですよね。学校では教室に何十人と入れられて、全員が黒板に向かって「正解」を求めて一斉に同じ授業を受けているのですから、そりゃあ個別に指導してもらえるチャンスがあれば、やっぱりその子に応じたスペシャルのプログラムを組んでもらって、その子のペースに合わせた、個別の指導をしてもらいたいと思うのが当然です。

教える側だって、腕によりをかけてスペシャルな指導をしたいはずです。だって、できる子もできない子もいる大勢を一斉に見る必要はなく、目の前の子どもだけに集中するのですから、そりゃあ自分の技能を存分に披露することができるスペシャルな指導をしたくなります。

そして教育改革と称して、どんどんどんどん子どもの先回りして、転ばぬさきの杖を用意して過保護に過保護に教えこむ。

結果、いつの間にか個人に全く寄り添わなくなっている。ってな感じのことを感じていました。これとは同じ轍を踏むまい。つまり、徹底的に個人に寄り添う。個人にフォーカスするが、1つめ。

2つ目。ここがオランダ式とも呼んでいる点ですが、決して子どもの先回りをしない、転ばぬさきの杖を渡さない。常に同じ目線でいる。同じ目線に立つ。ほんのちょっと背中を押してあげる。でも、その押す方向自体は本人に決めさせる。本人が行きたい方向を本人に決めさせる、という点です。具合的には「質問から始める」という点です。そうです。なんでも良いので、とにかく質問、つまり「発問」からスタートするという点です。極端に言えば、質問がなければ、あるいは聞かれなければ教えません。ここは徹底しています。

そして、この「質問」が苦手なのが日本人の特徴です。大人もそうですよね? でも、もしそれが好きなことだったらどうでしょう? 好きなサッカーで、どうしてもうまくなりたい。上手くなるためには、練習する。そして、その練習もできるだけ、上手くなるためにやる。さて、じゃあどうするか? ここで初めて自分で考えます。壁に当たります。試行錯誤します。そうして出てくる質問に対して、コーチがアドバイスをするという点。

この2点のアプローチを大事にしているのです。

 

質問から始めよう

ここで最も大事なのは質問力。質問力が高い子は、すぐに伸びます。一方で一斉教育の現場では質問力が高い子は、嫌われます。ウザがられます。なんと言っても、大勢を最短距離で正解に導くことが目的です。個別の質問なんかに構っている余裕はないからです。(これ、実は大人の世界も同じかな…なんて、サラリーマン脱落組としては思ったりもします)

だから、個人に寄り添う教育体制が必要となります。でも先回りしない。つまり「教えない」となるのです。矛盾してるようですが。

質問がいかに大切かといのは、『たった一つを変えるだけ クラスも教師も自立する「質問づくり」』(2015  新評論)を読んでいただくと良いのですが、ここでは質問の作り方などが学べます。要は「質問によって、引き出す答えが変わってくるよ」ということを言っているのですが、大袈裟に言えば、「良い質問が、どれだけ質問者の人生を豊にするか?」ということが書かれています。

で、今、話題になっている映画『あこがれの空の下~教科書のない小学校の一年~』なんですが、この予告の中でも先生?が、流石にいいことを言っていて、『「はてな」から始まる授業だよ』と言ってるんですね。つまり、ここの小学校もいわゆる一斉教育はしていないのです。教科書がないんですから。当たり前ですかね。

 

質問を作れるか?

これは大人の世界でもそうなのですが、今は、もう完全に「質問を作れるやつ」が強いです。「答えを上手に出せる人」ではないのです。答えを上手に出すのは、それこそグーグル先生で良くて、AIで良いのです。そうではなくて、この問題だらけの社会や地球をよくするために、どういう「問い」を立てられるか?が鍵を握っています。

唐突にセレンディップの話に戻りますと、まずはこうしたことの訓練にもなる、自分が上手くなるためにはどうしたら良いのか?ということを考えて、自分で練習メニューを組むところからスタートしてます。1期生を見ていて、やっぱりこういうことに慣れていないので、日本の子は最初、戸惑いました。しかし、そこは子ども。吸収力、適応力の速さは抜群です。徐々にこのやり方に慣れていき、コーチからのたった一言のアドバイスで、みるみる上達していきました。

正直、事務局はコーチではないので、技術的なことはあまり分かりません。ただ、この質問することによって、上手くなる。自分で考えることで上手くなる。そして、これが大人になった時の「質問を作れるやつ」になるための、いい訓練になる、ということだけを大事にしています。

そして一期生の成長を見届けることができて、確信に変わったのが、「子どもは質問で変わる」ということでした。まあ、これをちょと煽って、「一斉教育の限界だ!」と言ってみたわけです。また、今後改めて触れようと思いますが、ピアノコースの子たちの上達が異様に早い気がしてます。ピアノは、これまた「好きな曲を自分で選んでチャンレジする」という、王道クラッシックスタイルから見ると怒られそうな内容でスタートしてまして、さらにこれが弾けるようになりつつあるのが、びっくりしているところです。「え、ピアノやったことなかったのに、わずか数週間、数ヶ月で、『レモン』弾けちゃうんですか?」「ジブリ、弾けちゃうんですか?」「あれ?ピアノ、弾くこと自体、初めてでしたよね?」っていう状態になっていますw

 

ちょっとこの1期生の成長っぷりには、改めてこちらも自信を持つことができました。子どもは本当にちょっとしたアドバイスでめちゃくちゃ変わります。皆さんのお子さんも、コロナ禍ではありますが、なんとか成長を後押ししてもらえるような素晴らしい出会いに恵まれるといいですよね。。。

セレンディップは、素晴らしいコーチ陣で、皆さんの参加をお待ちしております。ということで、最後は宣伝になってしまいましたw

でも、ほんと体験できている子どもたちは幸せだろうなあ、と思います。あ、そうそう、今、参加してくれてる子の保護者の方は、おそらく完璧なるアーリーアダプターや、ファーストペンギン。つまり社会に「問い」を出せるタイプだと見ています。となると、やっぱり保護者としての確かな目というか、子どもに接する対応力の高さというか…。そういうお父さん、お母さんのお子さんだから、上手くなるのかな?という気もしてますが。

いやー、全国、世界の子どもの成長に立ち会えるし。とっても楽しい思いをさせてもらっています。先生の楽しさ、ってこういうところもあるんだろうなあ、と。無駄に「一斉教育の限界」と煽ってみました。すいません。ただ、優秀なコーチがいるだけなんですけどね。