277123912_245c0f5117うちの4歳の子どもは、自分の気持ちを上手に表現できません。実は、親である自分も、子どもの頃は気持ちを表現することは苦手でした。今は、”コミュニケーション”に関わる仕事をしているので、テクニック的にはできるのですが、苦手であることには変わりません。そういえば、”日本的できるビジネスマン”は、相手を慮って、察して、先回りして、相手の立場に立って…と、自分の気持ちを表現することは、あまりないかもしれません。

 

実際、”感情を素直に表現すること”は、日本では、あまり良いこととはされてませんよね。なので、子どもも”自分の気持ちを表現するのは良くない”、として育つのでは、と思っていました。しかし今、読んでいる心理教育学者、河合隼雄さんの『今ここに生きる子ども 子どもと悪』に面白いくだりがありましたので引用してみます。

 

■ 海外ではアグレッシブは褒め言葉

<英語にアグレッションという言葉があり、日本語では攻撃性と訳される。〜(略)〜アメリカ人と話し合っていて、人物評のときに、何某氏はアグレッシブな人である、というのが肯定的な意味で用いられるのを知って驚いたことがある。〜(略)〜日本では「元気で仲良く」というのが、「よい子」のイメージとして定着している。しかし、アグレッシブな子どもは、自分ということを前面に出して、それを妨害するものに対しては向かってゆく姿勢をもっている。これはアメリカでは評価されるが、日本ではやはり「攻撃的」であり、そして少なくとも「よい子」とはいわれないのではなかろうか。>

ここでは、よい子、悪い子のイメージが国によって違うと述べられています。 ”アグレッシブ”の意味としては”攻撃性”というより”積極性”に近いのだと思いますが、日本では”素直でおとなしい”がよい子とされ、競争心、闘争心は低く評価されるという流れで、以下のような文が続きます。

 

■  子どもの競争が一様のモノサシの上でのみ行われる日本

<日本では、子どもには競争は悪であるかのごとく教えながら、受験戦争にだけは勝って欲しいと言うのだから、子どもたちが歪んでいくのも無理はない。ただ、この「競争」が極めて日本的なのは、個々の子ども達が自分の個性に基づいて「アグレッション」を出していく、というのではなく、すべての子どもを一様に序列づけるシステムのなかの、できる限り上へ行くようにという競争をさせる。〜(略)〜子どもの個性の競争ではなく、与えられた一様な世界のなかのことだから、これは本来的な人間のアグレッションとは異なる。>

こういった教育を受けた日本の子ども達が、大人になって世界の人と仕事をすることになると非常に困ると思います。グローバルな環境では、多種多彩なアグレッシブな人がこれでもか!というくらい出てきます。だから、日本の子どもは、個性で勝負できるアグレッションを身につけないと、これからの世界では生きていけないのでは?と思います。語学よりこういう問題のほうが根深いかもしれません。

 

そのために、子どもが”感情を積極的に表現することを良し”とする環境を作らないとなあ、と思いました。”泣くのはヤメなさい””ギャーギャーさわがないで”こういったこと、ついつい言ってしまいますよね? 育休取ってるので、ママの感覚がだいぶ分かってきました。最近では、家庭内でも感情を表現しない子どもが増えている、と聞きました。

 

感情の表現は、やがて個性の表現になり、個性の表現は、やがて自分への自信につながります。”感情表現を自由にさせる”には、親の我慢が大切なのでしょうかねえ。はあ〜…。

 

 

Thomas Hawk