8720604364_85c5931a14_b2016年の年明けから2週間かけて、オランダの学校を見てきました。

インターナショナル校、主に移民のためにオランダ語だけを集中して習う語学学校、モンテッソーリや、ダルトン校、そして、イエナプラン校、合計およそ10校を見てきました。

オランダでは一般的に4歳から12歳までが、日本で言う、いわゆる小学校に当たる学校に通います。今回見てきたのは、主にこの小学校に当たるところです。

日本では年も明けて、4月からの新一年生の元に、「ランドセルが届いた!」というニュースを聞くようになりました。こうしたニュースにも2つの国の違いを感じましたので、記憶も新しいうちに書いておきます。

 

■他人の目を全く意識しない社会

先にも書いたようにオランダでは4歳になったら学校に通い始めますので、日本のいわゆる入学式というのはないのです。

4月になると小さな背中に真新しいランドセルを背負って一斉に登校する、という日本人的には微笑ましいなあ、と思う子どもたちの姿は見られないのです。

考えてみるとオランダ社会ではこの時点から、あまり年齢とか学年とかを意識しないようになっている気がします。他人を意識しないというか…。

他人を意識しないと言えば、オランダの家庭は、どの家も窓が非常に大きくカーテンなどを閉めずに、常に外から中が見えて非常にオープンです。こんなところにも、他人を意識しない、というのがあるように感じます。窓が大きいのは、いわゆる建築デザインにおけるダッチデザインの特徴でもありますよね。

 

■学校は自分で物事を判断する力をつけるための場所

いずれにせよ、どんな教育方針の学校であっても、大事なのは「自分がどのくらい出来るようになったか?」という指標で、「他の人と比べて学年で学力が何位か?」という指標、偏差値的なものは全く存在しない、あるいは重要視されないようです。

「世界一子どもが幸せな国」と言われる所以でしょうか。

他人を意識しないということが、こんなところにもある気がします。

さらに例えば、小学校を卒業した後は、4年制、5年制、6年制の学校があり、それぞれが自分の将来の目的に合わせて、どの学校に通うか選びますし、どの学校に進んでも、途中で進路を変えて5年制、6年制の学校に通うこともできるようです。(それぞれ1年遅れるようですが)

もちろん、新卒一括採用とか、皆がリクルートスーツを着て一斉に就職活動をする、といったことはありません。

学校だけでなく社会そのものが、他人との比較ではなく、学問や生き方を通じて、自分をどう高めていくか、どうやってい自己実現をしていくか?ということがベースにある気がしました。

<ヨーロッパで公教育制度がつくられるのは、啓蒙主義に基づくフランス革命のあと19世紀の初めごろ、ナポレオンの時代ですが、その当時の学校に期待されていたのは、人々に、知識に接近させたり、モノを考える力をつけたりして、自分で物事を判断する力をつけるための訓練の場だった>

これは尾木ママこと、尾木直樹さんとオランダ在住の教育評論家のリヒテルズ直子さんの対談本『いま「開国」の時ニッポンの教育』(2009年 ほんの木)に書かれていますが、日本との学校の違いが、そのまま社会の違いに現れているようにも感じました。

また同書にはOECDの調査で近年、世界で学力トップであるフィンランドの教育事情にも触れ、

<今のヨーロッパの教育というのは、そういう風に、学力だけではなく、人間性の総合的な発達、多面的な能力のバランスのとれた発達を重視する方向に動いてきているんです。そして、そういう教育のあり方が、結果的に子どもたちの幸福感につながっている。この幸福感が、子どもたちの大人社会への信頼、社会参加の原動力となっており、社会の安定と発展の基礎を作っている>

と書かれています。

こうした教育がベースにあるからか、実際に街全体、社会全体が非常に成熟している感じを受けました。

<オランダでは、学校は、子どもたちが「学ぶことを学ぶ」ところだと言います。教員は「教育的な環境」を整えて、各々の子どもに必要な刺激を適当に与えるための専門家です。そういう環境があれば、子どもたちはお互いに助け合ったり学び合ったりして、お互いの能力を認め合い、子ども同士の間につながりが生まれる。>

実際に見学した学校からは、まさにこんなことを感じました。

 

もちろん、日本には日本のいいところがあるのは十分認識しているつもりですが、なんかいろんな意味で、オランダと日本の差を、大人と子どもくらいの差に感じてしまいました。

わかりやすく言うと、日本とオランダのサッカーの差くらい大きいような…。ママさんには、かえって分かり難いか…笑。

Lucélia Ribeiro