6784105394_8638b7b52e_b先日、オランダからの帰国時に、ロンドンのヒースロー空港で乗継便を乗り過ごし、空港で8時間待ち、最終的には、日本到着までまるまる24時間かかりました。

その日は、オランダのスキポール空港出発時点で、すでに多くの便が遅れているという情報が出ていました。

そこで、チェックイン時のカウンターで、「ロンドンから羽田行きの便に乗り継ぐのだが間に合うか?」と聞いたところ、「今日は、ほとんどの便が遅れているので大丈夫。ロンドンには伝えて、着いたら係員が待ってるようにしておくわ(ウィンク!)」と結構な美人職員。

「じゃ、なんとかなるかな」と思って、その時点で、すでに2時間くらい待っていたのですが、足取りも軽く飛行機に乗り込みましたが、これが、24時間帰国の旅のスタートでした。

今回はこの経験を通じて感じた、日本とヨーロッパの教育の違いについてです。この経験から、教育に対する大きな考え方の違いを感じたからです。

 

■会社の立場より、個人の意見?

ところで、オランダは鉄道網が発達しており比較的、時刻表通り運行していて、まあ信頼できると言われているのです。それでも移住後、わずか2か月弱の間に、かなり手痛い電車の遅れや、予告のない(あるいはオラダン語で前日にアナンスされている?)電車の運休にあった経験があります。

ですから、空港にはそうしたハプニングが起こっても良いように余裕を持って、たっぷり2時間以上前には行くようにしないと安心はできません。我が家から空港までは30分ですが、日本のように正確な運行ダイヤに期待しすぎると痛い目にあうのです。

飛行機の出発は予定時刻より2時間遅れということで、オランダスキポール空港で計4時間待つことになりました。まあ、でもヨーロッパの旅ですから、こういうこともあります。

ただ、なんとなく、この前提がすでに日本とは違う気もしますが、この程度で「なんで遅れるんだ!」と怒っても、誰も相手にしてくれませんし、実際、誰も怒っていません。

ということで、4時間待ちした飛行機でロンドンに到着。スキポール空港の職員との会話「ロンドンには伝えておくから(ウィンク!)」を思い出しながら、飛行機を降りるも、「Mr.Yoshida」のプラカードを持った出迎えの職員はいませんでした。

「日本と違うし。そこまでしないか…。(ウィンクしてたけど)」と思いながら、お目当のロンドン発羽田行きの乗り継ぎ便を電光掲示版で探すも、そこには、なぜか「定刻通り出発」の文字。

「あれ……?」

ということで、3人にたらい回しされた挙句、なんとかお目当ての係員にたどり着く。しかし、たどり着いた係員、まずはじめに和かに「Hi!」と言ったあと、「Why are you late?(お前、なんで遅れたん?)」

おそらく、この時点で日本だと、お客さんの怒りは結構、高まりますよね?「Whyじゃねえよ!お前のとこの飛行機遅れまくっただろ!」となるかと思うんですが、とりあえず事情を説明。その説明を眉間にしわ寄せながら聞いた係員、ゆっくりと便の変更手続きに入りました。

もちろん、ここまで一言も「Sorry」はなし。「俺は、飛行機を変更する係。遅れは俺の責任ではない」というオーラが出まくってました。ま、そりゃそうですが。。。

その後も、「俺はFUK(福岡)(←これが「ファ×ク」と聞こえるので、最初はびっくりした。汗)は知らねえけど、羽田経由がいいのか? 成田がいいのか? 羽田での福岡便の乗り継ぎの時間は、これで大丈夫か? お前が決めろ」ってな感じで、「Sorry感ゼロ」。むしろ、こっちがお手数かけてスンマセン的な雰囲気に。

最終的には8時間後の「JALにしてやるぜ」的な感じで、飛行機の変更完了。そこから、やれ、ターミナルが違う、やれ、バスに乗れ、バスはそっちじゃない、こっちだ、あっちだ。で、やっとこさたどり着いたJALのカウンター。しかし、そのカウンターが開くまでさらに6時間。(←この情報を得るまで、1時間以上経過)

もうやることないので、罪滅ぼしにもらったバウチャーで、シャンパンを飲んで時間つぶし。

で、結局、その先も、いろんなところをたらい回しをされて、なんとかJALに乗って日本に着いたわけです。

係員たちは、自分の持ち場のことはやるけど、それ以外は自分には関係ない、というスタンスが明確。まあ、そりゃそうですが、こうしたやり取り、日本とは大違いですよね。

日本だと、おそらく、こうした事態になったら、航空会社の人はどんな立場でも平謝り。お客さんは踏ん反り返りクレームの嵐ではないでしょうか。。。実際、先日の羽田の混乱もすごかったようですね。

 

■自分の意見より、会社の立場?

ところが、ロンドンで8時間待ってJALにやっとこさ乗ったとたん、今度は「お待たせして申し訳ありません」と平謝り。「いやいや、あなたたち一切関係ないですよ。別の航空会社ですし」と思いましたが、CAさんも皆さん一様に、同じ角度でお辞儀をして、一瞬、ロボットかと思ったくらい、機械的に皆が同じ動きをされるし、繰り返し、他のお客さんにも謝っていました。

さらに日本の空港に着いたら、実際にお辞儀をしている等身大のPOPはあるし、電車も分単位で正確だし、どんな係りの人に聞いて正確に教えてくれるし。日本のこうした対応に驚いたのと同時に、誰にでもとりあえず形式的に謝っている感じがして、逆にまったく「人間臭さ」を感じなかったのです。

そのような体験から、まるで日本は「ロボットの国」かと思えたのです。

日本の電車や飛行機の正確性、どんな係りの人でも常に親切に正解を教えてくれる感じに対して、ヨーロッパは、ニコニコしながら完全に間違ったことを伝えたり、全然仕事してないのにウィンクしてきたり、ムスッとしながら、お前の好きに決めさせてやる、と言ってみたり。事実を尋ねているのに、個人の意見を言う人が多い気がしました。

 

■よりロボットに近づくことを目標としている?

こうした違い。もちろん教育だけが理由ではないのは分かります。逆の立場であれば自分もそうした対応をすると思います。

でももしかしたら、意外と教育の影響も大きいかもしれません。

というのは、日本の教育では、自分の意見を考えることを教えたり、追求したりするのではなく、「正解のみ」を伝えている、そしてそれを覚えるのが多くの勉強だったり、教育だったりしないでしょうか。

つまり、正解を正確に言うロボットを作ることを教育の目的にしているのではないか?と思ったのです。

東京の自由学園のパンフレットにはこれを「学力」ではなく「覚力」(覚える力)と表現していました。

いたるところでも言われていると思いますが、日本の学校では自分の意見よりも、常に「正解」が求められ、それを「速く」「正確」に出すことが良しとされるわけです。

伝統的な教育方法である一斉授業は、もともとはみんなと一緒に物分かりよく、言われたことに疑問を持たずに、常に正確な答えを出す企業戦士に育てるためには都合の良い教育法だと聞いたことがありますが、その成果のあらわれかな?と思えたのです。

また、かの大前研一さんは、自身の著書の中で、「日本人の大半の人が学校で習ってきた知識は、今やメモリースティックに入れて50円くらいで売られる、そのくらいの価値しかないだろう(だから教育を改革しないといけないのだ)」と言っています。

一方で、うちの子どものオランダの学校では、一斉授業が少なく(ほとんどない)、常に「あなたはどう思うのか?」「どんどん質問しなさい」「自分で考えて好きなことをやりなさい」と言われています。

空港での経験を通じて、教育の根本的な違いが、こんなところに現れていのではないか?と思ったのです。

 

もちろん、自分的には生活する上では日本の方が楽ですし、日本にいる時には、そこまで日本人の働くスタイルや社会に違和感を感じなかったのですが、少し外に出てみることで、ちょっと違った視点で見るようになりました。

外を知ることで、自分たちのことを客観的に見えるようになった、ということででしょうか。

日本の方が圧倒的に過ごしやすいですけど、意外と、いい加減なこと言われてても美人にウィンクされる生活も悪くはない、と思うようになってきてしまっています。もちろん、あまりされたことはないんですが。。。

で、最後に最近公開された、こちらの記事を貼っておきます。ウィンクの話ではありません。念のため。

いろいろ考えますよね〜。子どもの未来のこと。

『日本で働かせる前提で子供を育てていいのか』 - 東洋経済ON LINE

Shelley Rich