もうすぐ2学期も終了。クリスマスやお正月を迎える時期で大人は大忙し。子どもはウキウキワクワクな時期かもしれません。

受験生はもう本番前のピリピリ時期だし、保育園や学童の予約などなど来年度の準備が少しづつ始まっている時期でもありますね。

このように季節の節目や決まったタイミングに合わせて、多くの人が皆一斉に準備をしていく時期やタイミングが日本にはあります。個人的にはこうした時期(3月〜4月とかもありますね)があまり好きではありませんでした。

なんか、そわそわして落ち着かないというか、気ばかり焦る、というか…。

 

■準備は個人のペースで?

しかしオランダで生活を初めてみると、日本のように「あるタイミングに合わせて一斉にみんなで準備をする時期」が少ない気がします。いや、もちろんオランダにだって、日本と同じように、こうしたタイミングはいっぱいあります。

学生のテストのタイミング、卒業のタイミング、会社の期末なんて全部一緒だし、バカンスだって一斉に始まるし。

でも、その中でも個人のペースが多少守られる、というか個人のペースで生きているいける?というと大袈裟ですが、そんな多少の余白も感じます。

例えば、小学校(4才から入学)は4才の誕生日なった子から順番に入学。学校にもよるでしょうが、うちの場合は、午前中の慣らし保育?的に、週4からとか。それも個人のペースに合わせて、いたければ午後もいていい、という感じで徐々に慣らしていくようです。

逆にいうと日本的に真新しいランドセルを背負って、桜の中、校門の前でパパとママとで写真撮って…っていう入学式がありません。

あくまでも個人のペースに合わせて。学年の進級だって個人で判断します。決して現学年に居残ることも珍しくないのです。しかもイエナプランだと異学年がもともと同じクラスなので、もう一年同じクラスやってもクラスメートが一緒ということもあります。

うちの長男を見てると、どうも違うクラスの子とも結構遊んでるようなので、近い年齢ではあると思いますが、バラバラ。あんまり同級生っていう概念が存在しないように思います。(こんな環境だから大人になっても年齢とか全く気にしない関係なんでしょうね。っていうか、年齢を気にしない社会だから、学校もこうなのか…。)

社会人だと新卒一斉入社もないから、日本的に「同期」みたいな関係もありません。

まあ日本のわりと一斉に進んでいく、進級システムとか入社システムとか、先輩後輩的な関係とか(←ちと違うかな?)知っている身からすると、なんかオランダの、良く言うと個人のペースで進む感じとか、悪く言うとけじめがない感じは、全体的にとりあえず楽とは感じますが、ハッキリスッキリしない、と言う気もします。

まあ、進級するにせよ就職するにせよ何であれ、そして割と何にせよ「個」として、自分で考えて、自分で判断して、自分で決めないといけないわけです。極端に言えば、小学校であっても黙っていたら進級はできないということです。少なくとも先生や親とも話した上で「進級する」という意思表示をしないといけないのです。

 

■しかし判断はかなりシビア!?

ところが…。こうしたシステムにいると、割とルーズで何事もイージーに進んでいく印象があったのですが、実は真逆。判断はかなり厳しいのです。

たとえば、進級するかしないか自己判断であると言いつつも、ある基準を満たしていないと「進級できない」という判断は容赦無くされます。そのほうが個人のため、ということです。

サッカーでも、和気藹々楽しくやっているものの、結構シビアなレベルチェックが行われていて、うまい子は上のレベルへ。下手な子は下のレベルへ。うまい子はドンドン引き上げられます。何もしてないけどトレーナーでもある自分のところへも、突然、子どもたちの評価チェックシートが送られてきて、レベルをチェックしろと言われてびっくりしました。(しかも、かなり細かい)

そう言えば学校にも、勉強ができる子だけの特別クラス(家庭教師的に専任の先生と一緒に勉強する)があったりもします。

実際、就職だって新卒一斉入社や、みんなが一斉にやる就職活動タイミングはないものの、優秀な奴は仕事をゲットし、ダメな人は仕事をゲットできない、という当たり前な、そしてかなりシビアな現実もあります。

学校では宿題もない、サッカーの練習も全然やらない(日本と比べたら遊んでいる感じ)、就職は一斉にやるようなタイミングなんてない。しかし、だからこそ、自分で全部準備して、自分で判断して、自分で行動しないといけないのです。

まあ、こちらではこのようにして大人になっていくんだな、と感じています。

日本だとみんな一斉に進級したり、就職したり、同期横並びで昇格したりして大人になります。それを逆に楽だと考えるか。あるいは、自分のように大学で留年したり、会社で育休とったりするともう一斉レベルから脱落した大人になってしまうので日本は大変だ、と思うか…。

ここで、お馴染み河合隼雄先生の『大人になることのむずかしさ』(2014 岩波書店)には、こんなことが書かれています。

<大人になるといえば、「自我の確立」ということを条件のひとつとして、誰しも考えるであろうが、実のところ、「自我」ということが西洋人と日本人では異なっていると筆者は考えている。>

「自我」の捉え方がそもそも違う、というのです。

<西洋人の自我は他と切り離して、あくまでも個として確立しており、それが自分の存在を他に対して主張してゆくところに特徴がある。それに対して、日本人の自我は、あくまでも他とつながっており、自分を主張するよりも他に対する配慮を基盤として存在しているところがある。>

<西洋では成績が悪ければ落第し、落第が嫌なら進級できるよう自己主張せよ、つまり、自ら努力せよ、ということを教えるのである。日本人であれば、何もいわなくとも相手の気持ちを「察する」ことのできる人間になることが、大人になることといえるし、西洋人であれば、自分のことは自分で自己主張できることが、大人になることといえるだろう。>

と、まさにこちらで自分が実感していることが書かれておりました。

 

ということで、日本と西洋の「大人になる」という意味が根本的に違うのです。

確かに、日本では「空気を読む」ことは大事とされますし、それができて一人前とされますよね。まあ、子どもの頃から、一斉になんでも一緒にやって来るわけですから、それはそれで大事になってきます。

西洋とはやっぱりこう言う部分が違うのです。そして生活していると、いたるところにこの違いを感じることになるのです。

この文化の中で育つ子どもがとうなるのか?楽しみでもあります。

一つ気になるのは、今のところ我が家の長男は、かなり「空気を読む」タイプで自己主張をしないタイプであること。一方の次男は空気は読まないのですが、「自己主張をしない」という「自己主張をする」タイプで、2人とも、こちらではひねくれているように思えます。

この先、どうなって行くのかかなり心配です。。。もちろん自分は棚にあげますが、大人になるのは難しいのですw