「いい会社」に入ればオールOK!? 子どもに「勉強する意味」を教えられますか?
皆さんは、お子さんに「勉強することの意味」をどのように話していますでしょうか?
「良い学校に入るため」「良い大学に行くため」つまり「良い会社に入るため」でしょうか? だとしたら、「良い会社」とは一体どんな会社でしょうか? 日本ではかつての優良企業と思われていた企業も元気がなくなっているところもあったり、倒産してしまったところも多くあります。また安定の象徴と思われていた銀行はAI時代を迎えて、これから大規模リストラが予想されていたりします。
例えば、こちらは2017年10月28日付の日経新聞の記事ですが『3銀行大リストラ時代 3.2万人分業務削減へ 』本格的なデジタル化、AI時代を迎えて大規模なリストラがなされるであろう、ということが書かれています。
実際、オランダでもすでに銀行の窓口業務というのはほとんどなく(口座開設くらいであり)窓口での現金のやり取りは全くありません。
ちなみに、オランダはヨーロッパ一現金を扱うことが少なく、ほとんどネット決済とデビッドカードで生活できます。
一方で、少し前に「慶応生の就職人気一位が銀行である、正気か?」というキンコン西野さんの記事が物議をかもしたりしていたのは記憶に新しいと思います。
「いい会社」や「安定の象徴である銀行」に就職することが良い悪いではなく、ちょっと未来から考えて見たり、世界では現状とりまく環境が、こんなことになっている、ということは、就活生はもちろん、大人こそ知っておいても良いのでは?と思いました。
■なんで勉強するのですか?
で、「子どもに勉強することの意味」をどう教えるのか?から脱線してしまいましたが、改めて皆さんはどう思いますか?
結論から言うと、個人的には「好きなことを探すため」だと思っています。勉強していろいろな知識や考えを学ぶことで、自分の好きなことが見つけられるかな?と自分の体験では感じています。
実際、今、自分がしている仕事は、いろいろな産業や分野のクリエイティブという側面からのサポートです。この仕事にたどり着く、あるいは、こうした好きな仕事を生み出すために、今まで勉強してきた全てのことが、実際に役に立っているし、その経験があったからこうしたことができているなあと感じています。
とはいえ、もちろん大人になるまで「なぜ勉強するのか?」というのは正直、ピンときていませんでした。で、月並みですが、その必要性を感じる今となっては「もっと勉強しておいけば良かった」と感じるのですが。
でも「なぜ勉強するのか?」という意味を教えるのは本当に難しいことだと思います。
このことについて、東京大学名誉教授でもある汐見稔幸先生の著書『本当は怖い小学一年生』(2013年 ポプラ社)にはこんなことが書かれています。
<教育というのは、もともと自分が何を勉強したいのか、何を一生やっていけたら自分らしく生きられるのか、自分たちの幸せをどうやったら実現できるのかを探すためにするもののはずだ。経済競争を勝ち抜く国家の一員になるためではない>
オランダにいると、これを読むと納得がいきます。というのは「自分たちの幸せをどうやったら実現できるのか? 教育とはこのためである」というのがハッキリしているからです。
働き方を改革するのも、子育てを楽しむのも、もちろん勉強するのも全てにおいて「幸せに生きるため」というのが共通認識だからです。
もちろん幸せの基準は、人それぞれ。当然親子であっても違うものですよね。ですから我が子であっても「自分の幸せのために勉強する」も良し、自分の幸せのために「好きなことをする(=勉強しない)」というのも良し、という認識がベースにはあります。(最近は、オランダでも「とりあえず勉強して大学にいきなさい」という風潮になってきているようですが)
さらに「なぜ勉強するのか?」については、こんないい記事も先日読みました。『京大ナンバーワン教官が教える「勉強することのホントの意味」』。こうした内容は学生のうちに聞いておきたかった、と強く思いました。
■サラリマーマン(就職)だけが全てではない
話をガラッと変えて。
で、先日、ある会合に出席しました。老若男女が集まる会合で、大企業のお偉いさんから学生さんまで集まります。
そこで、学生に向けて大きな声で自分がいかにして出世したか、いかに企業勤めが良いか、いかにサラリーマンとしての自分が素晴らしいか、いかに立派なサラリーマンになることが幸せか?といったことを声高にしゃべっているお偉いさんがいました。つまり「良い学校を出て、良い会社に勤めることが大事!」と言っていたのです。
その話を聞いて(全く聞いてなかったけど)サラリーマン中退組みとしては、「やっぱりサラリーマンは大変だなあ」と改めて思ったのですが、これは結局「なぜ勉強するのか?」についての相互理解が彼とは根本的にできない、ということなんだろうなあ、と思いました。
で、こうした話を学生にしていたことを、ちょっと恥ずかしくも思ったんですが、今となってはそんな話を聞いていた学生はかわいそうだな…と思いました。なんで、上手にその話をやめさせて「いかにサラリーマンは大変か」という話をしてあげれば良かったなあ…と。笑。
学生のうちにこそ、「なんで勉強するのか?」「どうしたら個人の幸せを実現できるのか?」ということを真剣に考える時期だと思ったからです。
ということで、不甲斐なくも大先輩のそんな話を聞いていたわけですが、オランダにいるとこうした話が、本当に井の中の蛙というか、世界とかけ離れている感覚だということが分かって、悲しくもなってくるわけです。
とはいえ、もし学生さんが読んでいたら、勘違いして欲しくないのは「サラリーマンは辛い」とか逆に「日本のサラリーマンは最高!」と言いたい訳ではなく、他にも個人の幸せを実現する方法は世界にはものすごく多くあるはず、ということを言いたいのです。
なので、学生のうちにそうした見聞も広めていたら良いのではないか?と思います。
「良い大学を出て、良い会社に就職をする」も、もちろん個人の幸せを実現する一つの手段だと思います。ただ、その前に、特にこれからの学生さんや、そうした子をもつ親御さんには、くれぐれも日本だけでなく、世界中を見渡して考えて欲しいと思います。
今の子どもが大人になる時代は、世界はものすごく小さくなっていていると思いますので。
机に向かうことが大嫌いで、高3の三者面談で
「大学に行きません、働きます」と宣言したら、
先生も親も目が点になっていました。
何故、あの時その言葉を発してしまったのか?
紆余曲折ありながらも、周囲の反対を押し切り、上京して進学しました。
就職活動を終え、自分と「働く」について向き合う機会が増えてから
改めて当時を振り返っています。
大学入学後、「勉強≒働く」のように捉えていたため
少しでも自分の「好き」を仕事にしたい!とがむしゃらにもがいていました。
ある意味私の大学生活は「自分の好きを仕事にしたい」を必死に実現させようとしていました。
必死になった理由はいろんな物を切り捨てて、東京に出てきたからかもしれません。
「切り捨てる」を選んだのは、当時の自分が周囲との幸せな関わり方を見出せなかったからかもしれません。
小中9年間の義務教育で、その答えを見つけられなかった私は、15歳で自分の故郷を切り捨てていた気がします。
「幸せな関わり方」とは何か?
勉強することで、自分の価値観を育み「人を幸せにする関わり方を見つけること」=「幸せの実現を探すこと」
だったと大人になって思います。
「切り捨てる」を選んだ自分には
地元の友達との幸せな関わり方がいまだに見つけられないために、
年末の帰省中のスケジュールページは真っ白です。
幼かったあの頃に、この言葉に出会いたかったとブログを読んで思います。
未来を担う「人」を育てる教育がこれからどうなっていくのか。
自分一人では何もできないかもしれないけど、これからのお仕事で少しでも
「勉強=幸せの実現を探すこと」を発信していきたいと、このブログを読んで考えさせられました。
モラトリアムに押しつぶされて、方向性を見失っていたので、
大変読んでいて元気が出ました。素敵な記事をありがとうございます。
まずはコメントありがとうございます! そこまで、ご自分で考えられていること自体、素晴らしいことだと思います。一つだけ思うのは、こういう考え(このブログの内容ももちろんそうですが)は引き続き、自分なりに考え続けることが大切だと思っています。1年後、2年後では感じ方や考え方も変わるかもしれません。もし機会があれば、また印象や感想を教えてください。