子どもは「失敗」する生き物である!? 「失敗」に寛容な社会は子育てが楽なわけ
先日、公開されたこちらの記事『子育ての秘訣はここにあり!? レッジョ・エミリアアプローチで大事にしている「Creative Accident」とは?【連載】オランダ発スロージャーナリズム(2)|FINDERS』にも書いたのですが、先日、長男と二人でイタリアまでドライブ旅行に出かけました。
8歳になる長男。プチ反抗期?かのように普段はママと衝突することが多いので、今回は多少の気分転換なども兼ねて、オランダのメイバカンシーなる4月末から5月頭の謎の2週間超の連休を使ってのドライブ旅行。
往復3000kmに及ぶ旅程はドライバー一人では、とても1日で行ける距離ではありません。そこで、途中、ドイツやオーストリア、リヒテンシュタイン、スイスなどにより道しながらイタリアの白ワインが有名なソアベや、あの教育法が世界的に有名なイタリアのレッジョエミリアまで行ってきました。
■失敗が許される環境をどう作るのか?
レッジョエミリアで感じたこと、思ったことなどに興味がある方がいましたら、ぜひ上記リンクのFINDERSの記事を読んでいただきたいのですが、レッジョエミリア とオランダの子育てとの共通点をあえて挙げるとすると、「失敗が許される」ということかな?と個人的には思っています。
記事にも書いたのですが、レッジョエミリアに行った時に「Creative Accident」なる言葉に出会いました。解説には「創作活動における失敗から、新たな発見や可能性を見つけていくこと」と書かれており、これは、とても良い言葉だな…と感じました。
自分自身も、クリエイティブの仕事をしてすでに20年以上経過してますが、アクシデントはつきものだし、そのアクシデントこそがイノベーションや企画の源泉になることもしばしば。
これを子どものうちから体験できる環境を作っていることが良いなあ、と思ったのです。
ここら辺はさすがレッジョ、というかアートの国だなあ、と思ったのですが、これは結局、失敗がどんどん許されるし、失敗を活かす環境だし、失敗にこそ価値がある、というようなことを言っているという印象を持ちました。
レッジョの場合は、これを非常に美的感覚に溢れた空間を作ることで、実践というか、自発的、内発的に行える環境を作っています。このアートの空間では「自分の好きなことをどんどん表現して、どんどん失敗していいんだよ」ということが自然とできる環境になっていました。
そこに対して、「子どもが世界一幸せな国」と言われるオランダでも、実は同じ環境づくりをしている、と感じました。
もちろん、レッジョほどアート的な環境が街中に溢れている訳ではないですが、同じくらい「失敗」に関しては寛容です。というか、「子どもは失敗するもの」という前提に立った仕組みや、制度が非常に多くあります。小学生から留年(学年を遅らせるの)は特別なことではない、中等教育でも学校を途中で変えられる仕組みがある、覚せい剤患者に適量の覚せい剤を処方する国の施設がある、などなど。(その他の具体的な例については、また別の記事で公開予定なので、いずれまた)
こう考えると、街中いたるところで起こっている、子どもの失敗についても非常に寛容です。
つまり「子どもは失敗するもの」という前提に立った社会であるということです。
■失敗に余裕がある社会
このように考えてみると、今の日本は「失敗」に関してはかなり厳格なのではないでしょうか? だから子育てが非常に窮屈になっているように思います。ただしこれは子どもの失敗に限ったことではなく、大人にも当てはまるかな?と思っています。
例えば失敗には「失敗は成功の母」や、「失敗をできるだけ若いうちにいっぱいする」などの金言があります。失敗は決して絶対避けなければならない、二度と立ち直れないものではない、ということだと思いますが、日本には世界的なスタートアップがあまり多くない原因として、この失敗を絶対にしてはいけなもの、失敗を許さない社会的な寛容度の低さ、敗者復活が行いにくい制度などなどが挙げられます。
この辺、実は子育て環境からの違いがあるように思えます。
子どもは失敗するもの、という前提に立って社会設計がされていると、子育てそのものが楽になるような気がしますが、その社会で育った子どもは、大人になった時に失敗に対して、ネガティブがそこまでなく、さらに他人の失敗に対しても寛容なのではないか?と感じます。
逆に言うと、大人になってから急に「失敗に寛容になりなさい」「どんどん失敗しなさい」とは、なかなかスムーズには行かないのではないか?と感じます。
最近の日本は「子育て不寛容社会」と言われているようですが、「子どもは失敗するものである」と言う前提に立つだけで、大きく変わるのではないか?と思いました。
ということで、レッジョエミリアに行ったことで、良く言われる表に見える、その教育アプローチではなく、その背景を考えてみました。
まあ、ほとんどFINDERSの記事と同内容になってしまいましたが、あちらもぜひ併せてご覧ください。
ちなみに、ドライブ旅行では、思わぬ長男の成長ぶりや、普段あまり感じることのない長男のしっかりした姿勢に触れることができました。
「パパは全然、面倒みてくれないから」と本人は言ってましたので、普段から世話を焼きすぎないほうが良いんだな?と思いました。まあ、これが「失敗Welcome!」ということでもありますね。
また最後に、オランダのママの元に戻ってくると完璧に元どおりになっている。1mmも成長が見えない、ということもある意味での、一つの失敗例として付け加えておきます。
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