オランダでも秋が深まりつつこの季節。なぜか今年は、夏のようにとても暖かく過ごしやすい気候がつづています。まあ、これも気候変動の影響かもしれないと思いつつ。

例年ですと、あっという間に10度を切って寒く、そして暗くなってくるのですが、今年はこの時期に視察にくる方は、ちょっとラッキーかもしれません。

そう言えば、特に最近、日本の長野県にもイエナプランの学校が開校予定だったり、同じく長野県でも風越学園という学校が開校予定だったり、他にもインタースクールが開校予定とか、日本の教育をなんとかしたい!という熱心な先生や関係者の方が、頑張っているように思います。

こんな背景もあるからか、ラッキーな気候のこのタイミングで、続けざまに日本からの学校視察団をご案内して、オランダの学校見学を行なっています。

今回はそんな学校見学を通じて、改めて思った日本とオランダの学校というか、教育の違いについてです。

 

■教え方の違いよりも、教える内容の違いが大事?

もしかしたら、このブログを読んでいただいている方はご存知かもしれませんが、我が家は、オランダの教育システムに子どもたちを入れたくて、オランダに移住しています。そして、それもイエナプランの学校に入れたくて移住しました。

実際に入れてみて、非常に満足しています。が、それはイエナプランだから、ということも、もちろんあるんですが、オランダだから、といった方が良いかもしれません。実はイエナプランと一言で言っても、学校によって全然違うことも分かりました。また、オランダには、そもそもモンテッソーリや、シュタイナー、ダルトンといったいわゆるオルタナティブも多く存在しており、一斉教育の学校も含めて、それぞれみんなが良いところ取りをして、結構、ごっちゃな教育方針になっており、さらに、それぞれが独自の進化を遂げていることも分かりました。

もちろん、イエナプランじゃない学校でも良い学校も沢山あると思います。またオランダの場合、学校によって教育方針が千差万別で全然違うので、あんまりイエナプランの学校のことだけを語るのは避けてきました。そもそもイエナプランも学校によって本当に全然違いますし、オランダの学校が全てイエナプランであるわけでもないからです。

ただ、ここしばらくいくつかの学校を回って見てきて、改めて日本との違いで感じることがあります。

それは、どんな教育方針であろうとも「教えるべきこと」をかなり真剣に検討しているだな、ということです。

例えば、オランダの教育だと「イエナプラン」とか「モンテソーリ」(イタリア発祥ですが、アムスが最初の学校だったと思う)とかとか、まあ、色々とあって、ついみんな、その教育方針に目がいくかと思います。もちろん、それは一番分かりやすいし、日本にない方法だと特にキャッチーですからね。

でも、その「どうやって教えるか?」を検討する前に、オランダの学校では「何を教えるか?」ということをかなり真剣に、そして、毎年アップデートしたり、学校単位で個別にそこに取り組んでいるように思えます。

日本だと与えらえた教科書(も、いろいろ問題ありましたよね?)の範囲内で、まあ、「どう教えるか?」ということがメインの課題になって来るかと思います。もちろん「どう教えるのか?」は大事だと思います。でも、どの教科書を選ぶか?というところまではやっても、そもそも、「何を教えるのか?」っていうところまで、学校単位で取り込んでいるところはあまりないんではないでしょうか?

まあ、あっても、つまりは学校法とか教育基本法とかの法律の範囲内での話だと思います。

でも、オランダの場合、結構、踏み込んで「それ、今の時代に重要?」とか、「これからの子どもたちに教える必要ある?」みたいな、0ベースでの取り組みが結構あります。

そういえば、うちの子どもが通うイエナプランでは「学校の先生こそ、世間を一番知らない」から『父兄に仕事の話をしてもらったり、面白い職場に行ってみる』っていうような授業が、それぞれのクラス単位であったりします。

世間や社会とつなっがっているのか?ということを常に念頭に置いて、というかそこから逆算して、授業の設計がなされているのです。

 

■真面目な日本人はついつい詰め込みすぎてしまう?

河合隼雄先生の著書『子どもと学校』(1992 岩波書店)には以下のようなことが書かれています。

<現在社会の一員として生きてゆくためには、人間は実に多くのことを身につけねばならない。膨大な知識、そして、社会人として暮らしてゆくために必要な規範、対人関係を維持する能力などを身につけねばならない。それを思うと、大人としては子どもに「教える」ことに熱心にならざる得ない。教育において、教えることが中心になるのも当然とも言えるだろう。>

前述のオランダの傾向に対して、これを読んで思ったのは、日本人の真面目さ故の、融通の利かなさ、とか丁寧すぎる感じというか…。歴史的に、慣習的に、法律的にも「教えねばならない」ことが山のようにあって、どうしてもそれを、真面目さ故に詰め込もうとしてしまう感じ。子どもにとって良かれと思って、ガンガン教え込んでしまう感じ。

これが、どうしても前面に立ってしまい、「そもそも教えるべきことを検討する余裕がない」といった感じになってしまっているのかな?と感じました。まあ、あくまでも素人の感想ですが。

でもオランダは、詰め込みっぽいことが一切ない(多分、イエナプランだけじゃないと思う)分、こうした「何を教えるべきか?」っていうのを、社会が考える余裕があるのかな?と感じました。

未来を作っていくべき子どもたちに、「何を教えるのか?」っていうのは、やっぱり重要ですよね?例えば、親である自分が学校で習った教科書と、あんまり変わらない教科書の内容を今も教わっているのは、時代錯誤も甚だしいのでは?と思ったりもしています。(もちろん、全部が全部じゃないですけど)

 

ということで、最近学校を回ることが多かったので、オランダの学校の特徴を、なんとかお伝えしてみました。これまた訪問する学校によっても印象が変わったりするとは思うのですが…。

そういえばオランダに来た当時、仕事をしていて、びっくりしたのは「ニュースでは、こう言ってたけど本当かどうか分からなから、調べよう」って言う人が結構いたことでした。その時は、「おおっ、なんかオランダ人かっこいいなあ!」とか単純に思っていたのですが、彼らは子どもの頃から、そういう教育を受けていたんでしょうね。

「自分で考えること」「自分の意見を他人にきちんと伝えること」、オランダはこの辺りの教育も徹底していますので。

「教」えること、「(自ら)育」つこと。それこそが「教育」ですもんねえ。今の時代を鑑みて「育つ」方をもっと大事にしても良いかもしれません。あ、これもまたオランダと日本との大きな違いかもしれませんが。

まとめると、時代に合わせて、教える内容と方法を常にアップデートしながら、子どもが自ら育つ力を育んでいる、といった感じでしょうか。日本でも新しい学校が出来てこようとしているのも、こういったことに本気で取り組もうとしている先生が増えてきているからかもしれません。

うちも、常に「自分で考えなさい」と子どもに言い続けていますが、サッカーでキャプテン翼並み(漫画並み)のオリジナルな技を「自分で考えて」練習している長男に「その技、試合では絶対に使えないから、練習しても無駄じゃない?」と言いたくても言えない、もどかしさを感じている今日この頃です。