焦っちゃダメ!? 子どもの育ちは「長〜い目」で見ないといけない理由
うちの次男は、ちょっと言葉が遅めです。あと数ヶ月で2歳になろうとしていますが、まだ10種類ぐらいの単語が出る程度です。お兄ちゃんは言葉が早く、1歳で喋りだし、2歳になる頃には2語文(「ママ 来た!」「ワンワン いる」とか)で話していたので、比べるとだいぶ違います。
とはいえ次男は、こちらの話はほとんど理解しています。
6歳のお兄ちゃんが、言葉を覚えさせようとして訓練しているおかげか、「イイ〜パンプ!(イイパンツ)」「ヤーよー!」などと言うようになってきました。
親としては無理やり次男に言葉を教えることはせず、また長男が教えている変な言葉も放っておいています。
■勉強的なことより感情的なことが大事な時期
元京都大学名誉教授の河合隼雄さんの『こころの子育て』には幼少期の教育についてこんなことが書かれています。
<子どものことを考えたら、六歳ぐらいまでは、勉強なんかより感情的なことの方がずっと大事です。長い目で見ると、それまでは自由に遊んでいるとか、好きなことやっているとかの方が、よっぽど意味があるんです。>
これは言葉についての話だけではなく、幼児教育全般の話ですが、言葉の習得も同じかな?と思いました。
ちなみに、6歳の長男は教えてもいないのに、いつの間にか、ひらがななどの読み書きができるようになってます。数字の計算もできるようです。字を書いたり読んだりしたり、数字が好きなようで自分で色々練習しているのです。
で、親としては、本人が好きでやっているので放っておいてます。こっちも。
■子どもの育ちを短期的に考えない
さらに著書の中では、このように書かれています。
<いまの日本の親の一番大きい問題は、みんなあまりにも近視眼的だということです。近視眼的に、いま勉強ができているということだけでともかく安心する。早くから子どもに勉強させるのは、親自身が安心したいからなんですよ。>
確かに、勉強ができたり言葉が早く出てくると、親としては安心かもしれません。
子どもの言葉や発達が遅いというのも、あくまでも平均に対して、という意味だから全く気にしなくても良いとも書かれています。
親は安心したいがために「平均」を気にしているが、実際は子どもの成長は千差万別で、例えば80歳くらいまで生きるとして、そのような長い視点で考えたら数年の違いは全く意味がない、ということなのです。
長い目で、子どもの育ちに向き合う、待つ、ということが大事なんですよね。
現在は、それが社会環境的にも、難しくなっているのかな?と感じます。本来、0〜6歳あたりまでは人格形成期として大事だとされていますから、いわゆる「読み、書き、そろばん」的な幼児教育を重視しなくても良いのでは、ということも言われますよね。
ただ、同じ河合さんの著書の中にも、「幼児教育が成功する例もある」と書かれており、ものすごい才能がある子の場合は成功することもあるとのこと。
ということで、いずれにせよ子どもの成長は長い目で考える必要があるんだなあ、と改めて感じています。実際、幼児教育して、いい大学行って、いい会社に入って…。日本だと、今やまさか!と思うような、いい会社が潰れる時代ですからねえ…。
言葉に関しては、4歳とか6歳まで、ほとんどしゃべらなかった、という大器晩成型の子も結構いるようです。
ちなみに、自分も10年遅れの大器晩成型と思っておりますので、生温かく見守っていただければと思っております。
Rob
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