Group of Friends Smiling

オランダでは、まだ少し暑い日もあるものの、日によってはすでに肌寒い日もあったり。サッカーの新シーズンが始まり、学校も新学年が始まり、気分的にも気候的にも、すでに夏の終わりから、日によってはもう秋っぽい雰囲気。

夏休み中の公園では、平日の朝から小さな子どもを連れた親子連れで賑わっていましたが、それもぼちぼち終了でしょうか。街中に大小、様々な公園が本当に多いので、我が家も、天気のいい日は、ほぼ毎日公園に出かけた夏でした。(その間に、2回ドローンをなくした。泣)

ところで、ありがたいことに最近、当ブログへの質問やリクエストが増えてきており、その中に、「日本と海外の子育ての違い」についての質問が多いので、今回は、一夏の公園遊びを通じて感じた、海外と日本の子育ての違いについて書いてみます。

 

■「違うこと」が普通の世界

公園遊びをしていて感じるのは、子ども達、そしてその親も含めての多様性。というか、違い、でしょうか。

オランダはもともと、かなり移民を受け入れてきた国ということもあり、またそもそも日本の九州ぐらいの大きさに、人口1700万人という小国なので、かなり積極的に海外とのつながりを作っています。仕事でも、始めから国外も含めた世界市場を考えるし、ほとんどの人が英語が話せるのもそのせいです。

そんな多様性に寛容な国では、人種や国籍も多様です。公園で遊んでいる子どもたちも、オランダ人はもちろん、中東系、アフリカ系、東欧系、アジア系(が一番少ない)などが混ざっています。

さらに、いわゆる「養子」も多いようです。なぜ、公園に遊びに来ている子どもが養子か分かるのか?というと、明らかに人種の違う親子がいるからです。さらに子育て中のゲイのカップルも見かけますので、こうした意味でも多様性があります。

ちなみにオランダでは養子をするときに、男女や人種を選べないらしく、知り合いのオランダ人カップルは、中国系の子どもを育てています。

もちろん、このような人が集まる公園コミュニティに差別はありません。少なくとも、今まで日本人であることで、そうした差別を受けたことはありません。みんな非常にフレンドリーです。

また我が家は4F建てのコンドミニアムですが、同じフロアにはオーストリア人、一つ下にはハンガリー人、1Fはインド人が住んでおり、子ども達は中庭でみんなで遊んでいます。

で、特に子ども達を見ていて思うのは、「こいつは何人か?」というのを全く気にしていないこと。人種よりも、一緒に遊んで面白いか? 楽しいか?ということしか気にしてないようです。実際、うちの子どもも、オーストリアや、インドと言われても、どこの国か分かっていないので、全く関係ないようです。(というか、実際、「何人かなんて全然、気にしないよ」と言ってました。)

ですから、公園で遊ぶ子ども達の世界は「違う」のが当たり前すぎる世界なのです。

 

■「違うのが当たり前」からスタートする社会

ここで思うのは、オランダ(に限らず、もしかしたら海外)での子育ては、「人と違うのは当たり前」からスタートする、ということ。公園でも、どこに行っても人と違うのが当たり前すぎて、違いを認めざるえない状況ですから、当たり前なんですね。

ついつい子どもに言ってしまう、「みんなと同じようにしなさい」とか、「普通にしてなさい」ということが、ないんです。

「普通って何?」「みんなと同じ、ってなんのこと?」っていう感じでしょうか。

スタート地点が、「違うのが当たり前」なので、いわば「普通」がない、「みんなと同じ」が存在しないようにさえ感じます。

そもそも、我が家が、その学校へ入学するためにオランダへ移住した、というイエナプラン(こういう教育方針があるのです。詳しくはこちらこちらを)では、クラスが異学年の生徒で成り立っています。(通常は3学年が一緒に一つのクラス)すると「できる子」と「できない子」が最初から存在しています。なぜなら、やっぱりお兄ちゃん、お姉ちゃんは、おそらく出来ることでも、一番下の学年の子はできない、のです。で、これが当たり前なので、子どもの世界では、できる子が自然とできない子のことを教えてあげるようになるのです。

教室もリビングルームと捉えて、家族的な雰囲気を非常に大事にします。

実際の家族では、みんな個性や年齢が違う人が集まって、一つの家族を構成していますよね。でも、家族の中では基本的に平等ですよね?これと同じ考え方で、年齢が違う子も、先生も一つの家族(ファミリーグループ、または根幹グループと言います)とみなした、雰囲気や関わり方を非常に大事にするのです。

もちろん、先生や保護者、時には地域住民にも、学校には積極的な関わりが求められます。

また、実学を非常に大事にしており(理科、社会、などの科目の区別がなく、実際の事象を通して総合的に学ぶ)、グループに分かれてのプロジェクト学習をしたりします。

つまり、ここでは個々の「違い」が前提とされており、学力一斉テストや、偏差値というものが存在しないのです。

話は逸れましたが、つまり「違い」がどこででも認められており、「違い」こそが子育てを考える時のスタートラインではないか?と思えるほどなのです。

ここが大きく日本と違うのではないか?と思っています。

そして、「人と違うのが当たり前」からスタートすると、子育て自体が非常に楽になるような気がしています。別の言い方だと、他人との比較ではなく、その子自身に対して向き合える、というか……。

我が家の場合も海外での子育ては、その国においては、「外人」になるわけで、最初から違いますからね。なので、逆に割り切るしかないという面もあり、それが「楽」と感じる一因にもなっています。

他にもオランダの場合は、他人を一切気にしないとか、合理的な国民性とかとかいろいろありますが。

 

ということで、「今回は日本と海外の子育ての違いはなんですか?」という質問に答えようと思って、かなり個人的な見解で書いてみました。

もちろん、語学や国民性の違いからくる海外ならではの苦労もかなりありますし、日本の方が「楽」と感じる人もいると思いますので、「海外子育てはバラ色です!」というつもりは全くありません。

ただ、楽かどうか?ではなく、「人と違うところからスタートする」という子育てのあり方は、参考にしてもいいかな?と思ったりしてます。

ぜひお子さんを、「うちの子は、他の子とは違う」という視点で見てみてください。きっと、お子さんに少し優しくなれたりする……かな? などと、ママの苦労を知らずに理想論的に述べてみました。(さーせん!)

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