先日(2019/3/15)FINDERSで公開された連載記事:「通知表」が変われば教育が変わる?オランダの通知表に見る世界一子どもが幸せな理由【連載】オランダ発スロージャーナリズム(11)が、思いのほか多くの人に読まれているようです。

やっぱり教育、特に通知表周りは皆さんの関心が高いのかな?と感じています。

現代は時代が急速に変化している真っ最中のため、日本でも教育に疑問や関心を持つ人が多いと思います。特に弊ブログの読者には、そうした観点から海外の教育や子育てに興味がある人が多いのではないでしょうか。日本での教育に関する疑問の声を反映するかのように、2020年には入試改革が行われることになっています。

そして、多くの先生や教育委員会の方が一生懸命、このことに取り組んでいるのを知っています。実際にこうした改革に取り組んでいる方たちを、オランダの教育現場にお連れすることが多くあるからです。そして、日本での現場での取り組みや、現場と政府との認識の違いなど、いろいろな話を聞かせてくれます。

日本の教育現場でのご苦労があった上で、オランダの教育現場を実際に目にして見ると、ある意味ショックを受けるようです。「全く違う」「日本では到底真似できない」という印象を持たれることが多いからのようです。

でも、それはもっともな感覚だと思います。

学校全体を真似しようと思うと、オランダ社会の歴史や、働き方、宗教的な考え方など、やっぱり社会全体を同じようにしないとできない…となります。もちろんそれは無理だし、そもそも日本には日本の良さがあるので、完全に同じようにする必要なんて全くないわけです。

そこで冒頭に紹介した記事では、日本にいる個人でも(子を持つ親であっても)実践することができそうな、オランダ的な教育方法、または考え方をお伝えするつもりで「通知表」を取り上げてみました。

今回は「おとよん」読者のために、もう少しこのあたりを掘り下げてみたいと思います。

 

■学校は未来と希望の工場である

オランダの通知表についての詳細は上述の連載に書いているので、そちらを見ていただくとして、そもそもなんでオランダでは、あのような通知表なのかな?ということを考えてみました。

そこで、そもそも「オランダの学校は子どもにとってどういうものなのか?」ということを知ることが大事なのかな?と思いました。

オランダでは学校を「子どもの未来を作る場」と考えていると思います。実はこれ、同じことが京都大学客員准教授でもある瀧本哲史さんの『ミライの授業』(講談社 2016)にも書かれています。そもそも『学校は未来と希望の工場である』と。

これこそ、オランダの学校に対する考え方そのものかな?と思っています。学校は「自分の好きなことや得意なことを見つける場所」。以前、うちの子どもたちが通うイエナプラン校の校長先生と話したところそんなことを言ってました。

いらした方はお分かりだと思うのですが、うちの学校の校長先生、非常に強面ですw。でもその強面の校長先生が「もし学校(子どもの頃)で、好きなことや得意なことを見つけられなかったら、大人になってからかわいそうじゃない?」「だからこそ、いろんなことにチャレンジできる環境を作って、好きなことを見つけられる場にしている」そして何よりも「学校は子どもたちが一番楽しい場所であることが必要」と言っているのです。

つまりこれって、上述の「学校は未来と希望を作る工場である」ということだと思うのです。

なぜ学校にいくのか?何を学校で学ぶのか? 『ミライの授業』の中では、こうも書かれています。

<どんな大発見も大発明も、すべては学校で学ぶ知識をベースに成し遂げられてきました。国語、数学、理科、社会、そして英語。これらはすべて、みなさんがあたらしい未来をつくっていくための「魔法の基礎」なのです。勉強の目的は、いい高校や大学に合格することでも、いい会社に就職することでもありません。もっと大きな、もっと輝かしい未来を作るために、勉強しているのです。学校は未来と希望の工場である。>

つまり本来、学校では未来を作るための「魔法の基礎」を学んでいる、ということだと思います。

日本での教育システムは時間がかかってなかなか変わらない、偏差値だけが重視されている、そもそもなんで学校に行くのかわからない、なんて思っている親御さん(&子ども)は、学校を改めて、こんな場所であると捉え直してみるのはいかがでしょうか?

学校自体を、こうやって考えると「通知表」に対しての考え方や見方も変わってきませんか。

個人では学校のシステムや制度を変えることはなかなか難しいと思いますが、そして通知表自体を変えることはできなくても、「見方」を変えることはできるはずです。学校というもの自体をちょっと捉え直して、通知表の見方を少し変えてみる。ほら、こうすると自分の子どもでも、今までとちょっと見方が変わりませんか?実はこれ、オランダ人の子どもに対する見方に近いかもしれません。

 

■子どもは未来の住人。大人は過去の住人

『ミライの授業』から再び引用します。

<14歳のきみたちに、知っておいてほしいことがある。きみたちは、未来に生きている。そして大人たちは、過去を引きずって生きている。きみたちは未来の住人であり、大人たちは過去の住人なのだ。>

<残念ながら大人たちは、自分が夢見た21世紀を、実現できなかったのだ。>

さらにこうなると、そもそも大人が子どもを評価すること自体が間違っている、という気になりませんか?通知表自体、今の親世代が子どもだった頃とあんまり変わっていないと思うのです。勉強の内容もたいして変わっていない、評価の仕方も変わっていない…。

オランダは「先生こそが社会のことを一番知らない」という前提で教育プログラムが作られています。過去の住人だし、社会に出たことがないからです。まして、その「社会」は日々、ものすごいスピードで変わっているのです。だから先生は「コーチ」に徹しているのです。「教える人」ではないのですね。

誤解なきようにお願いしたいのは、「だから先生はダメだ」と考えている訳では、もちろんありません。先生は「コーチ」としてのプロの役割がありますから。

ほらほら、もう「通知表」とか「偏差値」とか全く気にしなくても良いのではないか?という気になりませんか?w これは日本にいるみなさんが個人でできることです。学校や、教育、そして未来に対しての考え方を変えるだけです。ちなみにオランダは偏差値的なものはないです。いや、あるかもしれないけど、あんまり気にしてません。もちろんレベルの高い中等教育の学校、大学、学部などなどはありますが、「レベルが高いから行く」というよりかは、「やりたいことが、たまたま世間的にはレベルが高いところだった」というような考え方です。(最近は、レベルが高い低いを意識することも、ままあるようですが。。。)

 

ともあれ、「学校は未来を作る工場」「子どもは未来の住人」と思ってみてください。こう考えると子どもの将来がちょっと楽しみになってきませんか?

オランダだと、そもそも毎回通知表を見るのが楽しみでもあります。と、自分自身、元落ちこばれとしては予想しなかった状態でもあります。

オランダ社会がこうした視線に満ちていることも、オランダの子どもが「世界一幸せ」と言われる理由かもしれません。

で、毎回ですが、これは個人がブログに好きなことを書いているに過ぎないので、あくまでも一個人の私的な見方です。そしてオランダでも教育方法は千差万別で、学校によって全然違います。地域によってもいろいろな違いがあります。なので、ここに書いたことがオランダ全てを代表する絶対的な見方や考え方ではないので、誤解なきようにお願いします。