7651469448_11199f01cf_b先週、ドイツのシュツットガルトやミュンヘンに行って来ました。

オランダも、いたるところにサッカー場がありますが、ドイツにも同じようにいたる所にサッカー場がありました。そして、そういう所にサッカーをしに行くと、やっぱりそこに遊びに来ている子どもや大人も一緒になって、みんなでサッカーを始めます。

ご存知のように、ドイツも移民が多いので、公園に集まりサッカーをする人種もドイツ人だけではなく、トルコ人などの中東系や、中国人、もちろん他のヨーロッパの国の人も混ざってサッカーを始めます。

先週の土曜日は、天気も良く気候も、日陰に入ると涼しいくらいで絶好のサッカー日和だったため、多くの人が公園に集まりましたが、そこでフランス人家族とトルコ系や中東系の子どもとの間で、いざこざが起きました。

 

■絶対に自分の意見を曲げない子ども

そもそも、その公園に一番のりだったのは、トルコ系や中東系、そして中国系ドイツ人の3人組。中学生くらいでしょうか。

その次に着いた、我々、日本人5人(大人2人、小学生3人)とさっそく、試合をすることになりました。その試合は、我々日本人チームの大勝でした。日本人チームの小学生に、とても上手い子がいて、ほとんどその子一人の独壇場でした。

しかし、急に相手チームのトルコ人が怒りだしました。どうも日本人の一番うまい小学生がしていた時計が、ぶつかったとかで、「もうやめる」と言い出したのです。

おそらく年下の小学生に一方的にやられたのが嫌になったのでしょう。

我々、日本人の大人に向かって「お前たちはズルをしている」(ぶつかると危ない時計をしてるから反則だ)、「お前たちとはもう試合はしない」と言ってきました。

これ、中学生が大人に言ってくるのです。日本だとあまりない光景ではないでしょうか?

「時計は外させるから、試合の続きをしよう」と言っても、「反則するお前たちとは、もうやらない」の一点ばり。こうして試合はお開きになったのですが……。

そのタイミングで、フランス人6人(パパ、ママ、小学生低学年から幼稚園?の女子4人)のファミリーと、10歳くらいのネイマールばりのリフテイングをするドイツ人と、その友達のイラン人がやってきました。

 

■大人相手でも関係ナシがドイツ流?

そこで、そこに来た子どもも大人も混ざって、全員で試合をすることになったのですが、一番最初からいるトルコ系、中東系、中国系の3人組は、「絶対に参加しない」と言い張り、それどころか、「自分達が一番最初からいるんだから、おまえたちこそどっかに行け」と言い張り、その場所を使わせようとしません。

そんな彼らに「一緒にやろうよ」と誘ったフランス人パパの誘いには一切応じず、挙げ句の果てに「俺のパパを呼んでくるから待ってろ!」と口喧嘩を始めます。

見ず知らずの大人に対して、堂々と自分達の意見を述べて、絶対に曲げようとしません。

これも、日本だとなかなかない光景だなあと思って、半ば感心すらしながら見ていましたが、ドイツでは、このように自分が合っていると思ったら、大人に対しても自分の主張を曲げないというのは、当たり前のようです。

一緒にいたドイツ在住の日本人パパさんは、「これがドイツ流ですよ。立派なもんですよね。子どもでアレですから」と言っていました。

 

■自分の意見を言う訓練を生まれた時からしている?

こんな光景を目の当たりにして、山崎豊子さんの小説『不毛地帯』で、終戦後シベリアで捕虜となったドイツ人は、敢然とロシア人に反論するのに対して、日本人は捕虜としても従順だ、というようなくだりがあったのを、思い出し、これは教育の違いというより、国民性の違いなのかな?と思ったりもしました。

そういえば、以前のエントリー(『ついつい言ってない!? 「人に迷惑をかけないで!」は消極的な子どもになる?』)でも紹介した、ムーギー・キムさん/ミセス・パンプキンさんの共著『一流の育て方』(2016 ダイヤモンド社)には、「人と違う意見が言えるか?」「人と違っていい」とどう教えるか?について、こんなことが書かれていました。

<「協調性」ばかり重視する教育が、単に「迎合主義」「ことなかれ主義」につながる危険性もあります。>

<夫はまた、テレビや新聞のニュースがいつも正しいとは限らないとか、ある話題を取り上げては、どのメディアもこのように報道しているが、自分は違う意見だなどと、子ども達によく語りかけていました。そして子どもたちに「お前はどう思うのだ?」と聞き返し、意見や感想を言わせていました。>

このように海外では、徹底して自分の意見や、考えを持つように育てられることが、重視されている気がしています。自分の意見が言えない人間は世界では通用しないんだなあ、と強く感じました。

今までの日本だと、どうしても自己主張し過ぎる人は、ちょっとうざい人、空気が読めない人、協調性がない人、と思われがちでしたが、今の子どもたちが大人になる時代はどうなるのでしょうか? 自分の意見を主張するよりも、依然として控えめな態度や、空気を読める能力が重視されているのでしょうか? こうしたことにも、ちょっと興味があります。

 

ヨーロッパの子どものサッカーが上手なことや、「あの子たち、大人に文句を言うんだね」とビックリしていた我が家の長男は、こうした光景を目にして何を感じているのでしょうか?

海外に住むと、このような日本とのいろんな違いに遭遇します。こうした刺激が、子どもの育ちにどう影響するのか楽しみでもあります。

親としては、やっぱり学生時代にサッカーやっておけば良かったかな? と遅すぎる後悔を薄々と感じておりますが……。

Caio Vinícius Reis de Carvalho