226419445_c6e928a5a5_b-1-806x393昨日まで、5歳の長男は春休み中で、毎日、家で1歳の子分の面倒を見ながら、幼稚園の始まりを楽しみにしているようです。

入園時は親の抱っこから離れなかったことを考えると、成長したなあと思い、イキイキと日常生活を楽しんでいるのをみると、親としては嬉しいものです。単身赴任中につき、離れているので、実際は見ていないのですが。笑。

 

■日本の若者は意気消沈している?

しかし、こんなイキイキした幼児期をすぎると、やがて夢も希望もない、おとなしく、いや、むしろ後ろ向きな若者になるというのです。

 

先日、たまたまイギリスBBCのこんなニュースを見ました。

Can education change Japan’s ‘depressed’ generation?

簡単に要約します。

『将来への夢や希望を持っている若者が、世界と比較すると極端に少ない。また自己評価も著しく低い。

日本では、幼い頃から、お辞儀の仕方が悪いとやり直しさせられ、机の上の、どこに筆箱を置くかを指示され黙ってそれに従う。給食の準備も、秩序良く行儀よく一列に並ぶ。

こうした教育を受け続けた若者は、自分の意見を持つことはなく、ひたすら親からいい学校、いい企業に就職することを求められる。若者は、それに従って特に自分の意見もなく、ある時期になると、安定を求めて一斉に就職活動をする。そこにはチャレンジする姿はない。

もちろん、景気の良かった親の時代の日本のことも知らない。そして日本の若者は一切の希望を持たなくなってしまった。

これを教育で変えないといけない、ということで政府が教育改革を始めている。』

ざっくりこんなことが書かれています。(もし違っていたら、ご指摘お願いします!)

また、最後はこんな文で締められています。

<For decades, Japan has produced millions of class-A students who would work long hours and devote their lives to their employers. They were the army of salarymen behind Japan’s recovery from World War Two.

But to make the future generations more competitive abroad, the old systems need to be reformed.>

(日本は、ここ何十年も会社に生活を捧げて、長時間労働を厭わない”Aクラス”の人材を輩出してきた。彼らは戦後の復興を支えた、サラリーマンという、いわば軍隊だった。

しかし、今後、世界でも競争力のある人材を作るには、古い(教育の)体制を立て直さなければならない。)

世界からは、こういう風に見られているのだなあ、と思ったのですが、このニュースを見たのと同じ日に、今度は、たまたま、東大の教養学部の卒業式で学部長が話した式辞を目にしました。

 

■情報は疑え!自分の意見を持て!そして君たちは責任を持って実行できる!

東京大学教養学部石井洋二郎学部長の式辞が、さすがの東大教養学部だけあって素晴らしいのです。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞』(時間がある人は、ぜひ読んでください。読了7分)

こちらも、簡単に要約します。

『東大の卒業式と言えば、1964年の大河内一男総長が語ったとされる「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」が有名です。しかし、この有名な言葉には3つの間違いがあります。

まず、これは大河内先生の言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用である点。

次に、原文をきちんと訳すと、”満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。”と書かれている。つまり、大河内先生の語ったとされる言葉は、原文とは意図が変わってしまっている。

最後に、この言葉は、原稿には書いてあったものの、実際には式辞では述べられていなかったということ。

この3点が事実とは異なっていた点です。

後日、原稿がマスコミで報じられ、あたかも式辞として「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と述べられたかのように報じられて広まった。

つまり、実際には、大河内一男総長が語ったとされる言葉は、大河内一男総長の言葉ではなく、内容も元の言葉とは違っており、しかも、そもそも語られていなかったということなのです。

で、こういうことは、今のネット社会では頻繁に起こっている。

教養学部の卒業生のみなさんは、社会に出たら、健全な批判的精神を持って、何事も情報を自分の目で確かめ、自分の言葉に誇りと責任を持って発信してほしい。

こうした態度こそが、教養の本質である。』

と、まあこんな内容を述べられています。(本当は、もうちょっと続きがあります。)

 

■BBCのニュースと東大の式辞は同じ国の若者のこと?

で、たまたま同じ日に読んだ先のBBCのニュースと、この式辞を読んで面白いと思ったことがあります。

幼少期から自分の言葉や考えを持たない、持たされないような教育を受け、A級サラリーマンになるべく教育を受けてきても、最高学府に入ると、”情報は自分で確認しなさい。自分の言葉を持ちなさい。そしてその言葉に自信と責任を持って発信しなさい。”、と真逆になっているところです。

もちろん、小さいうちからの日本の教育が意図して、”自分の音葉を持たないように”教育しているとは思いません。

あくまでも結果的には、世界から見ると、そのように見えるということですが。

しかし、大学の卒業式では見事にBBCニュースでみた若者とは真逆の話が述べられています。

この変化は、いつどうやって起こっているのでしょうか?

おそらく、この式辞を聞いた卒業生の中には、BBCの言うところの”Depressed Generation”は少なく、自分の将来を自分で切り開いていける逞しさをもった人が多いのではないかな、と思います。

 

日本の教育が問題だという声も良く聞かれるし、確かに問題点もあるとは思いますが、やはり個人がその中で、何を考え、何をしていくか?

結局は、自分の将来は個人で切り開いて行かないとダメなのだなあ、と改めて思ったのです。卒業後20年近く経とうとしてますが。。。

うちの子ども達も、イキイキとした今の元気で明るいアホなまま、自分で自分の道を切り開いていける逞しさだけは身につけて欲しいなあ、と強く感じました。

子育て疲れるので…。

alex yosifov