11256855415_acbc399df8_b以前フェイスブックにあげたことがあるのですが、我が家の長男が最近、ずっとハマっているのが、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ。もしかしたら、このブログを読まれている親世代にとってのほうが、お馴染みなのではないでしょうか。

怪人二十面相扮する犯人を、助手の小林少年と名探偵明智小五郎が見事な推理と洞察で、次々と事件を解決し、怪人二十面相をやっつける、というシリーズです。

純粋なミステリー小説ではないのかもしれませんが、自分も子ども時代に、ドキドキしながら貪るように読んだのを覚えています。

うちの長男が、まだ幼稚園の年長さんだった今年の1,2月頃、少し早いかな?と思いながらも、「怖い話」が好きだったので、試しに読み聞かせしたところ意外にもハマったので、それから読み続けており、オランダに移住後もアマゾンKindleで購入し読み続けています。もちろん本人は読めないので、もっぱら親の読み聞かせです。

この、なんちゃってミステリーが、実は子ども(に限らず)の「好奇心」に、絶大な影響を与える、ということが、イアン・レズリー(著)/須川綾子(訳)の『子どもは40000回質問する〜あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力〜』(2016 光文社)に書かれていました。

 

■パズルか、ミステリーか?

それによると、現代の教育や、子どもだけでなく大人をも含めた現代社会は、ミステリーよりもパズルの視点で物事を捉える傾向が強い、と書かれています。そして、それは子どもの好奇心を大幅に削いでしまっているのではないか?というのです。

では、パズルとミステリーの違いとは一体、何なのでしょうか? 少し長いのですが引用してみます。

<パズルには明快な答えがある。クロスワードに取り組み始めたら、答えに到達する前であっても、どういった類の答えが求められているかは明らかだ。答えがどうしてもわからないとしても、少なくとも問題は明快だし、それに対する答えが存在することも明らかだ。-(略)-

これに対して、ミステリーは曖昧で混沌としていて、明快な答えが存在しないような疑問を投げかける。多くの場合、いくつもの、複雑に絡み合った要因を解きほぐしていかなければ答えらしきものには近づかない。-(略)-ミステリーの解明にあたって問題となるのは、必ずしも情報の空白ではないーむしろ、情報が過剰であることが障害になる場合が多い。ミステリー解明のために求められるのは、重要な情報とそうでない情報を切り分け、手にした情報を解釈する能力だ。>

つまり、パズルのように、明快な答えが分かっている場合、純粋な意味での「好奇心」は育たず、ミステリーのような混沌とした世界の中に溺れ情報を解釈していく経験をすることでしか、純粋な「好奇心」が育たない、と言っています。

そして、この「好奇心」に溺れることこそが、子どもを成長させる、というのです。

 

■問題にミステリーとして向き合っているか?

実は偉大な科学者や発明家は、問題にパズルではなくミステリーとして向き合っている、と言います。

<確かなことよりも不確かなことに魅了されるのだ。-(略)-アルベルト・アインシュタインもきっと同じ思いだったのではないだろうか。「われわれの経験で何よりも美しいのはミステリアスなことだ」と彼は述べている。>

ところが現代の教育は、ひたすらパズルを解くことを目的として、その手段を単に伝達しているのにすぎないのではないか、と思うのです。パズルを解くことに関しては、もはやGoogle先生やAIに勝てる人類はいないのではないでしょうか。

現代がパズルを重視する文化であることに対して、

<このような文化的圧力に抵抗しなければならない。パズルは完全に的が外れているときでさえ、問題を解決する満足感をもたらす。物事をパズルとしてしか考えられない社会や組織は自らが設定したゴールによって視界をさえぎられ、将来の可能性に意識を向けることができない。人生のあらゆる問題をパズルと考えようとする人々は、単純明快な解が得られないと当惑し、フラストレーションを感じるだろう。>

と書かれています。なんかこれ、現代の日本の現状を言い表されている、と感じるのは自分だけでしょうか……。

というのは、誤解を恐れず、そして異論もあるでしょうが、自分には今の日本の教育がひたすらパズルを解く能力を磨いていると感じるのです。

子どもにはミステリーとして問題に向き合える環境を作っていきたいとも思いましたが、究極的には、これは自分で気づかないといけない問題であるかもしれません。

検索すれば、考える間もなく答えが見つかる時代に、パズルを解く能力を磨く教育が、どこまで意味があるのか?非常に疑問です。

 

なんちゃってミステリーが好きな長男。最近、なぞなぞを出すと「わからないからググろう!」とか、「答えは選択肢にしてよ!」と言い出す始末。

彼の「好奇心」がどこに向かっているのか? 若干、心配ではあります。

<ミステリーはパズルよりも難しいが持続性がある。ミステリーによって持続的な好奇心が刺激されると、私たちは自分の知らないことに意識を集中し続けることができる。そして好奇心は、暗闇のなかで手探りしているときも、「充実感と意欲」を保つ原動力になるのである。>

Emil Zakhariev