オランダでは、いよいよ本日(6/8月曜日)から、学校が本格的に再開されます。今までは、半日だったり、クラスの人数が半分だったり、週2日登校だったりしたのですが、それが一応、元の形で再開されることになります。

日本は各自治体に任されているのでしょうか?ちょっと分からないのですが、コロナ禍での臨時休校中に、オンライン授業を行った学校の中には、普段は不登校の子がイキイキしてたとか、不登校の子のほうが俄然成績も良かった、とかの話も聞いたので、オンラインも、それはそれでなかなか良いのかも?と思ったりもしました。

 

コロナ禍の休校中は真の探究の時期だった?

オランダでは2ヶ月ちょっと臨時休校だったと思うんですが、その間、我が家は一応まじめな日本人家庭なのでオンライン授業に対応するため、なんとなく普段の学校通りの時間割で生活していました。

といっても、オンラインでも課題は全然多くないので、後半は1日の課題は1時間くらいでまとめて終わらせて、あとは自由に遊んでいるみたいな感じでもありました。また小1にあたる次男は、ほぼ何にもしてませんでしたw

もちろん、PCの貸し借りや、仕事との兼ね合い、ビデオミーティングと学校のホームルームなど家庭内でのオペーレーション的には結構大変だったのですが、個人的にはもうちょっと、例えば夏休み明けくらいまでは続いても良いかな?と思っていました。

というのは、もうちょっと暇な時間が続けば子どもたちの「探究」が始まるのではないか?と思っていかたらです。

ここで言う探究とは「新しい道を道を開く」という意味です。そして、実はこれこそが本当の学びだと思うからです。

この探究の第一歩目は、「知識は教えてもらうものではなく、自分で発見するもの」ということに気づくことから始まります。もちろん、当事者である子どもがそういう意識をしている必要はありません。結果的に、そうなっているということです。

つまり、「あまりにも暇すぎるからいろいろとやってるうちに、好きなことが見つかって、それを勝手にどんどん追求していく」ということを始めるための第一歩です。

そういう意味では今回の臨時休校は、うちの子どもたちにとっては、少し中途半端で、まだ「あまりにも暇すぎるから、いろいろとやってみる…」というところまで辿りついていなかったようです。

もっとも次男はこの間、youtubeを見まくったおかげで、日本語がメキメキと上達したという副産物はありましたが。

 

効率を求める危うさ

さてここで、慶應SFCの教授でもある今井むつみさんの『学びとは何かー探究人になるために』(岩波書店 2016)から、探究人に関して面白いことが書かれています。

探究人になるためには「効率を重視してはいけない」と言うのです。今の教育は、ほぼ全て「いかに効率良く行うか?」というところがポイントになっていると思うので、そう思うとちょっとドキッとしますよね?

まず大切なのは

<探求を自ら経験し、その楽しさを味わい、それが習慣となること。>

これが絶対に必要だと書かれています。

そして、その上で言葉に注意しなさいと書かれています。少し長いのですが引用してみます。

<ことばがわかるようになると、ことばで「教える」「教えられる」ことができるようになる。-(略)- ことばで指示し、教える事は知識を共有するために非常に効率的だ。しかし、その効率性の背後に危うさも潜んでいる。ことばを使って教えられるとき、言っていることの、あるいは書かれていることの、その字面だけを理解してわかった気になってしまうのである。ことばで教えられ、それを「覚える」と、ほんとうは理解していないのに、「覚えたからわかった」と思ってしまう。教えるほうも、質問をしたときに相手がキーワードを使って答えると「理解した」と思ってしまう。教えるほうも教わるほうもことばで教える、教わるのは効率的なので、それが規範となってしまい、「覚える」ことが知識を得ることだ、たくさん覚えることが最も良いこと>

と思ってしまう、と書かれています。

「覚える」というのは、「探究」とは全然違ったものですが、変わってきているとはいえ&必要な部分もあるとはいえ、どちらかと言うと日本の学校は、いまだにこの「覚える」に重点を置いているように思えます。

でも、このコロナ禍のオンライン教室では「覚える」というところはあんまり重視されず、どちらかと言うと、探究に繋がるようなことが多かったのではないか?と思いました。だって、オンラインだと、カンニングとかいくらでも出来ちゃいますからね。

 

学び方も大きく変わってきている

以前、自分もインタビューをされたことのあるリクルートの「Works」という出版物があります。たまたま先日、「おもしろい記事がある」といって妻が送ってきました。

それは『学びはアウトプットから始まる ~対話型社会の時代の新たな学び方~』というもので、現代は「学び方」でさえ昔と変わってきているようで、「アウトプット自体」が学びだということのようなのでうすが、その文中に載っていた年代別の学びの仕方が興味深かったです。

それによると40代以上は、

<・本を読む

・自主的に勉強会に参加する

・教養番組を見る

・日経新聞を読む>

を学びの方法と考えているのに対して、

20代、30代は

<・先人の知恵を知るため、歴史を学び続ける

・ライバルチームのデータを読み込み、 自分たちと比較して、違いを知る

・人とのコミュニケーションのなかで違いを知る

・ほかの人に教えてあげる。 それで自分の理解も深まる

・自分の体験をたまに整理し、 行動を振り返って改善点を考える

・多国籍、他分野、幅広い年齢層の人たちと話す

・リアルな体験を重視する。五感を使う

・ぼーっとしてみる

・「なぜ」と突っ込みながら学ぶ

・テスト勉強は友人と、インプットとアウトプットの 立場を入れ替えて話しながら行う>

というように、非常に広く柔軟に「学び」を捉えて実践しているようです。

<以前は、いつか使うための「貯蓄型」の学びであったが、最近は「使いながら学ぶ」もしくは「使う場面を 設定したうえで学ぶ」といった、今使うための学びへと 変化してきている。>

と書かれていました。

「貯蓄型」は「覚える」学習。「使いながら学ぶ」は「探究型」学習と言えるかもしれません。つまり、今はより探究型になってきているのかな?という気もします。

で、言うまでもなくオランダは、バリバリの「探究型」であったりもします。

ついでに言うと、子どもを「探究型」学習をさせたかったら、何よりも親自身が探究型である必要があるということでした。

 

ということで、コロナ禍のオンライン学習について思ったことですが、学校再開とともに元に戻る、それどころか、この遅れを取り戻す気満々だというニュースも漏れ伝わってくるので、そっちのほうがちょっと心配ではあります。

まあ、偏差値至上主義だとやっぱりこの辺は、なかなか変わらないかもですが…。

 

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