Charlotte NC Child Portrait Photographer昨年後半の家族海外放浪から戻ってきて、約2ヶ月。改めて、海外と日本の子どもの育ちの違いを考えてみました。というのも、先日、うちの子どもが、”小さいのに自分の意見が言えるなんてすごいね〜”とママ友に褒められたからです。

 

■自分の意見を言うのが当たり前の世界

みなさんは、子どもが自分の意見を言うのは当たり前だと思いますか? あるいは、大人である自分自身はどうでしょう? 実は、海外で感じた子どもの育ちの一番の違いはこの点でした。

一言で言うと、海外において自分の意見を言うのは当たり前。しかも、それをどう言えば伝わるか?ということを、子どもの時代から徹底的に訓練しているようにみえます。

多民族国家ほど、その傾向は強いように思います。例えば、シンガポール。バックグランドも宗教も考え方も違う、多種多様な民族がいて、一応、英語、という共通語はあるものの、マンダリンをしゃべる人も多かったりもします。

こういう国では、自分の意見を誰にでも分かるように、明確に、はっきりと相手に伝えることが、幼少期から求められている気がします。

だからShow & Tell という、一種のプレゼンを子どものころから、これでもか!というほど練習します。

例えば、自分の作った作品をみんなの前で発表する、先生に良さを伝える、といったものです。こうしたことが、スクールの入学試験で求められたりもします。

子どものころから、人前で自分の作品の自慢をするわけです。そして、英語という言語は、人に意見を伝えるのに、向いている言語だと思います。ダイレクトでシンプルで明確です。そもそも、英語の抑揚のあるリズム、音程は、聞いている人を飽きさせません。

 

■空気を読むことが求められる日本

逆に日本では、ほぼ同じようなバックグランドを持ち、宗教的にも民族的にも、多様性がほとんどなく、日本語だけを話す国では、幼少期から、そこまで自分の意見をハッキリ伝えることを求められていない気がします。

空気を読む、ことが良しとされ、行間を読み取る能力が求められ、他人の思いを察することが美徳とされ、寿司屋では”おまかせ”が通用し、強い自己主張は空気を乱す、と敬遠される。日本語自体も英語に比べると、非常に平板で曖昧だと思います。

個人的には、これは日本の良い点だと思いますが、世界とは真逆です。

こうした環境で育った子どもは、あまり人前で自分の意見を言ったり、主張する機会がないし、必要性もないのではないでしょうか。

 

■実は大人の世界でも同じ?

こうした経験を積んできた子どもが大人になると、やはりプレゼン力では大きな差が出る気がします。

自分も大小プレゼンや、打ち合わせなどでの企画の発表なども入れると、年間100回以上のプレゼンはしてますが、外人とのプレゼン能力の差は痛感しています。

なんというか、日本人は、プレゼンの内容の充実度に90%の力を費やし、プレゼンのテクニカル的なことには10%くらいの力を費やす感じ。そして、プレゼンテクニック的には、完全に個人の技、職人的な個人スキルに頼っている面が強い気がします。

それに対して、(ザックリ)外人は、内容の充実に60%、プレゼンテクニカルに40%くらいの力を費やし、プレゼンの見た目や印象度を、グッと高めている気がします。そして、プレゼン自体のクオリティが高く、組織的に、近代的な手法を使ったプレゼンが多い気がします。(あくまでも個人の感覚です)

だから、日本(自分たち)のほうが内容はいいのに、プレゼンで負ける、なんてことも多く経験しています。

 

幼少期からの育ちの違いが、大人になってから、こうした部分で差がついているのかな、と思ったりもしました。大人になってからでも、テクニカル的な面での訓練はできるけど、子どもの時からの育ちの違いによる差は埋めづらいかもな、と感じました。

記憶に新しいところでは、オリンピックの誘致プレゼンとかも、そうした違いを感じたりしました。

日本人が海外で教育を受けるとなった場合には、英語の問題ではなく、こうした考え方のギャップのほうが大きい問題だと思いました。

自分の意見、他人に分かりやすく伝えるのって、大人でも大変ですよね。自分の意見を言える子ども、生意気だな、と思ったりもしますが…(笑)。

あなたの子どもは自分の意見が言えますか?

 

Anders Ruff Custom Design

 

このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`evernote` not found]
LINEで送る
Pocket