3872500841_4c245d8aee単身赴任が始まりました。自分の時間が全くない生活から一転、すべて自分の時間。うるさかったけど、必要なものがなくなってしまった…という感じでしょうか。

子どもと一緒だと、”ちょっとうるさいなあ〜”、とか、”頼むからほうっておいてよ”と思うことありますよね。自分もそうだったのですが、やはり全くいなくなると寂しいものです。ま、”ないものねだり”とでも言いましょうか。

 

■子どもの”承認欲求”を満たせるのは親しかいない

子どもが、”パパ!パパ!”とか、”ママ!ママ!”と言うのには、子どもなりに、”自分のことを認めてほしい”という”承認欲求”があるからです。特に子どもが小さいうちは、親が無条件にそうした気持ちを受け止めてあげると、子どもは自信を持つことができます。

そうした子は、自分と世間に対してポジティブな気持ちを持ちながら、だんだんと世界を広げて行くことができるのです。

ところが、近頃は子どものそうした気持ちを満たせる、大人の”承認力”が弱ってきているのではないか?と言うのです。

そういえば、仕事をしていて思い当たる節はありませんか。

”上司に確認します!”とか、”ちょっと上のものに相談します”とかいうやつですね。そして当の上司が、”今は判断できないから”とか、”改めて社内でみんなで検討します”、ということないでしょうか? そして一回も誰にも承認されないまま、宙ぶらりんになって、しかもいつの間にかなくなっている…汗。

では、なぜ大人たちは、”承認”できなくなっているのでしょうか。

 

■大人が自信をもって立てる場所が揺らいでいる

ここで、藤原和博さんと、宮台真司さんの共著『よのなかのルール』という本から引用します。

<昔の大人は「同じ世間」に所属していたので、「同じ世間」に所属する子どもに対する承認力をもっていました。つまりそれなりに「確かな存在」だったのです。

ところが、近代化が進めば、社会が複雑化して「同じ世間」が消えていきます。すると「同じ世間」を背景にした承認力は、当然失われていきます。つまり大人たちは後ろ盾を失って「確かな存在」ではなくなり、子どもたちは「承認の供給不足」状態に陥ります。>

時代が成熟し、細分化した結果、子どもと同じ世間に所属できなくなってしまったので、大人は何を根拠に承認したら良いのか分からなくなってしまった、というのです。

確かに、今の時代は分からないことは、親に聞くより、グーグル先生に聞いたほうがいいですよね。親の方が何でも知っているという時代ではなくなってしまったのです。

 

■実は大人も”承認”を求めている

そして、この”承認欲求”、実は、大人もあると思います。しかも親の場合、その相手は子ども。

というのは、単身赴任中もスクスク育っている子どもをみて、”パパを必要としてない!”と寂しい思いをしています。

あれほど付きまとってきて、うるさかった子どもが、スカイプしても、後ろを向いてレゴをしてたりするのを見て、”おいおい、まだ親離れは早いぞ!”なんて思ってしまうのですが、これは、子どもに”親として承認されたい”という気持ちなのかな、と思ったりします。

子どもは、ものすごいパワーを持っているので、親を振り向かせたり、親を承認することができます。

お子さんの病気が一つの契機となって、起業した友人は、子どもの病気という事態に直面して”人生観が変わった”と話していました。そして、子どものためにも、どんなに辛いことでも頑張れた、と言って起業を成功させました。幸いお子さんも元気になったようですが、改めて子どもの持つパワーを感じました。

 

子どもの”承認欲求”を満たせるのは親や、その周りの大人。そして、親の”承認欲求”を満たせるのは子ども。グーグル先生の力をうまく使いながら、お互い承認しあえる関係が必要なのかもしれません。

ともあれ、子どもの幼少期の承認欲求は、無条件で満たしてあげてください。将来を前向きに生きていくための礎となるはずですから。

Dave Jacquin

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