最近、地域の交流会、イベントなど以前に比べたら非常に積極的に参加するようになった。
ま、知らない土地に来て、家に閉じこもっていても一向に世界も広がらないし、
仕事面だけでなく、生活をより豊かにするために
会社以外での人的交流をより重視するようになったからでもある。
ま、これは完全にAfter311現象というか、311を契機に考え方が変わった部分でもある。
先日は、ちょっと田舎のほうで行われた餅つきに参加しました。
そこでは、多種多様なバックグランドをもった人たちが、ある農園をハブに
集まりました。
おそらく自分たちのほうこそ、そのような集まりの中では異質なバックボーンを
持っていたのだとは思うけど、もちろんすんなりと受け入れてもらえました。
そこで、特に気になったのが子供達の多様性。
年齢も、住んでる地域も、親の社会的バックボーンもバラバラだけど、
なんとなく時間がたてば一緒に遊びだす。それなりに社会性を持っている。
大人より、よっぽど順応性が高い。
しかも、土地柄、都会と田舎の差が激しいエリアなので
(都会かと思えば、30分もクルマで走ったら、山村留学とかやってる小学校があるくらい)
地域間格差がむちゃくちゃ大きい。
普通のマンンション暮らしの人もいれば、
昔ながらの平屋で、井戸水で生活して自給自足。なんて人も普通にいる。
一種のタイムマシーン感覚というか、
昭和どころか、明治の日本と21世紀の日本が同居している感じ。
そんな中、子供達はそれぞれの個性に忠実に自由に成長している感があって
その個性の多様性が、見ていて非常に楽しい。
まるで、自然の山の中に勝手に生えている樹々のような逞しさ、奔放さ、
それでいて、陽の光が必要な木は、ちゃんと陽が当たるようなところに生えているという
適材適所な感じ。それぞれが、勝手に得意分野でイキイキと育っている感じ。
そんな感じを非常に強く受けました。
それらの個性が、そのままずーっと大人になるまで残していくように育てる。
大人には、そういう視点も必要かな、と。
そう強く思った機会でした。
我々、親世代がそうであった無理矢理、日本の学歴社会や、
常識、世相に合わせる型にハマった育てられ方をするのではなく、
我が子の元来持っている個性を引き出し、自分で伸ばせる環境をつくることが大切なんだ、と。
大きな根っ子と、太い幹を育てるためにどんな土や水や肥料が必要か?
親も試行錯誤しながら一緒に育つのでしょうか。
世界ではこんなことも。
http://www.ted.com/talks/view/lang/en//id/233

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