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先日、用事があって、うちの4歳児の幼稚園に行きました。
沢山の園児がおり、伸び伸びした雰囲気がいいなあ、と思っていたら、
ちょっとした喧嘩が始まりました。
どうやら、2人の園児が一冊の本を取り合いしています。
周りには、保護者も先生もいましたが、気づいていない様子。
で、園児がどうするか、しばらく見ていました。
そうしたら、周りにいた園児がとめに入り、
かつ、ほとんど同時に、一人の子が、
「じゃあ、それ貸してあげるよ。僕は後で読むから」
と言って、さっと手を引きました。
おそらく、良くある普通の光景だと思うのですが、
子ども達だけで解決する様子をみていて
その幼稚園の良さを改めて実感しました。
公園とかで子どもが、ちょっとおもちゃの取り合いになったりすると
大人が急いで飛んできて、仲裁したりすることも多い最近。
うちは、逆に子ども同士で解決させたいので
そういう時は放っておくのですが、
相手の親との理解がないと、
「子どもが喧嘩しているのに放っておくなんて」という
冷たい視線を浴びる事も多々あります。
でも、子どもの解決能力とか、子ども同士の関係とか、
そういったものを育てるには、大人が介入しない、ということも
大事だろうな、と思っています。
で、ちょうど最近読んだ記事で、
ググっても答えのでないことに挑戦しようという記事を
思い出しました。
ウォンテッドという新しい求人サービスを立ち上げた筆者で、
他人からは順風満帆に見える経歴の持ち主が、
いかに苦労して、どういう意識で、物事に取り組んできたか?
ということが書いてあります。
また、
日本の教育制度は良き社畜を育てるために存在してるんじゃなかろうかと

こちらでは、元官僚の筆者が社会人からの視点で
大学の教育制度の問題点を書いています。
ベンチャーや、前例のないことへのチャレンジとか、
自力で解決していく能力とか、
そういったことが顕著に弱い日本人が多すぎる、と言います。
両方で挙げられてる課題は、
幼稚園、というか子どものころから
どういう意識を持って物事に対峙して行くか?という積み重ねでしか
解決できないのかな?と思いました。
つまり、幼稚園児でも持ち合わせている
問題解決力、突破力とか自分で生きる力っていうのを
いかに伸ばしていくか?というのが、教育なのかな?と。
教育=Educationといのは、
「(もともと内に持っているものを)外に引き出す」
というラテン語(educare)が語源です。
外から教え与えることではないんですね。
みなさんは、子どもの(もともと持ってる)力、引き出してますか?


photo credit: Evgeni Zotov via photopin cc

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