バラバラが楽しい
最近、子供のプレスクールの友達と一緒に遊ぶことが何度かあった。
その時、一番に感じたのは子供達の個性の豊かさ。
みんなバラバラなのに、それぞれが相手の個性を尊重しているようにみえる。
もちろん、当人たちに尊重という意識はないのだろうが。。。
そういった姿勢は、見ていて本当に微笑ましい。
日本ではイジメが社会問題化しているが、
イジメの根本は、自分と同一でないこと、他者の違いを認めないことだと思う。
そういう意味では、日本は同調圧力が非常に強い気がする。
同調圧力は、言い換えると「常識」となるのだろうか?
お寿司屋さんで、「おまかせ」という注文方法が通じるのは日本だけ。
「おまかせ」というのは、「私のこと、だいたい常識で察しがつくでしょうから、
おすすめのものをお願いします。予算も常識内の範囲で」という、
非常に同調圧力の強い集団の中でのみ成り立つことだろう。
ようは同調圧力、つまり「常識」があるからで、
30代女性は、このくらいの量で、こういったバランスで食べれば、だいたい満足するだろう、
とか、50代の男性は、量はすくなくて、あっさり目のものを多く、、、といった
一般常識が厳然と存在し、それがまた充分、通用するから成り立つ文化だろう、と思う。
しかし、世界では「常識」という意識自体がない。
国は同じでも、出自も違えば、民族、肌の色、宗教、なにからなにまで違うのが
当たり前だからだ。だから、日本以外では「おまかせ」という文化も成り立たないだろう。
肉の焼きかた、ソースの種類、味付けの濃さ、などいちいち全てを指定しないといけない。
そのかわり?髪の毛の色の規定とか、パーマをかけるな、とか
細かい校則はできない。
目の色の規定とか、肌の色の規定とか、それこそ人種差別になりかねない。
子供たちの遊んでいる姿を見ると、のびのびと個性を発揮しているようで
本当に微笑ましい。
日本では、小学校、中学校と進むに連れて同調圧力が強まり、没個性になり、
ちょっとでも他人と異質だと、いじめの対象になる。
みんなと同じモノが欲しい、流行ってる髪型にしたいという欲求も強くなるが、
一つの正解を求める教育方法や、
雑誌のファッション特集とか、TVのランキングものとかメディアを通して
日本全体が常識から外れないように、という路線を歩ませている感じがする。
そして、ちょっとでも外れていると、変わり者、変人扱いされ、
イジメの対象になるような。
子供のころのバラバラさを、いつまでも持って自由に逞しく生きて欲しいなあ。
あなたは、自身のこどもの個性、本当に伸ばしたいですか?
photo credit: Greencolander via photo pin cc
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