The view from a top of the tree
今日は、息子が来春入園予定の幼稚園の面談。
面談されるのは、入園予定の息子ではなく、われわれ親でした。
以前から、気になっていたのは、
どうも息子は、父親と母親を使い分けているのでは?ということ。
父親の前では、手のかからない何でも出来るお兄ちゃん(自称)
母親の前では、本当に甘えん坊で、何にもできない赤ちゃん。
父親である自分と、一日、森や川に遊びに行って、何でも一人でできて大満足で帰って来る。
帰り道、家が近づいてくると急に大泣き。「ママ、迎えに来て?!」と。
母親が家を空けて、一日留守番を2人でしている。トイレもご飯も、何でも一人で出来て、
ご機嫌で遊んでいるのに、母親が帰ってきたとたん、ぐずりまくって大泣き。
こんな感じです、と話した所、
「それはキチンと、甘えられる関係を親(母親)と作っていて、発達心理学的には、
とても、ちゃんと育ってますよ。安心して下さい!」
と言われました。
息子は、いつのまにか、父親=社会、母親=家庭、という図式を作っていたんですね。
面談とは、名ばかりで、他の親御さんも先生に子育て相談に乗ってもらった様子。
こういった、一言一言、プロだからこそ発せられる発言は頼もしい限り。
ますます、幼稚園の3年間が楽しみになりました。
最近の子育ては、核家族化とか、周りのサポートが受けづらい環境のため、
なかなか子育ての知恵や経験が、伝承されない、と。
そこで、教育系サービスが、子育て教本的なものを出版したり、
サービスとして実施しているそう。みなさんも、ご存知だと思いますが。
そこに書かれているのは、先生が接するような教育者目線の接し方が大半で、
親の役割を認識した上で書かれているものは少ないとのこと。
子供は、家庭では先生を求めていない、と。
子供が家庭に求めるものは、しっかりと甘えられる環境や親であり、
外(社会)でしっかり頑張った分、家では駄々っ子になりたい時もある、と。
その駄々を、きちんと受け入れてもらえるところ、
いわば、子供にとっての安全基地が親であり、家庭である、と。
だから、家の外、つまり社会でのいい子、いわゆる外面がいい子、というのは、
ある意味、キチンと育っているんだなあ、と。
(ちなみに、最近は外(社会)では悪い子、家(親の前)ではいい子、が増えているんだとか)
まあ、大人も、外でちゃんとしてる分、時には家で、不機嫌になったり、
だらっとしたりしますよね。
先生と親の役割は、全然違って、親には親にしかできない役割がある。
木の上に立って、そっと見守る。「親」という字はそうなってますよ。
と、その幼稚園のかわら版に書いてありました。
ついついがんばって、いろいろ教えたり、注意したり、としがちですが、
木の上から、じっと見守る、という事も親の役割としては大事だなあ、と改めて感じました。
「私も外面はいいから、ちゃんと育ったんだな」とは、妻の言。
というか、君が、大人になった今も、外面だけいいのは、今の家庭が安全基地として
機能してることを、お忘れなく。
みなさんは、お子さんの安全基地になってますか?
photo credit: Cedrus.k via photo pin cc
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