みなさん、夏休み真っ只中ではないでしょうか? 今年は梅雨明けが遅かった日本も、そんなことはもうとっくに忘れるほどの猛暑だと聞いています。ヨーロッパも絶賛、夏休み中ですが、7月が史上最高に暑かったのですが、8月に入ると、例年通りおおよそは非常に過ごしやすい夏になりました。

とはいえ、グリーンランドでの異常な暑さ、北極の氷の溶け方が異常なスピードだったりと、ここ数年来、もしかしたら何かおかしくない?と思っていた気候変動は、もう確実に、気のせいでもないんでもなく、完璧な異常気象だなあ、と認識できます。

もしかしたら、これから毎年史上最高温を記録し続けるのではないか?とさえ思ってしまいます。

こうなってくると、もしかしたら、自分たちの子どもの頃の夏の思い出と、今の子どもの夏の思い出は変わってくるのかもなあ、と思いました。

 

夏の思い出は時代によって変わるのか?

実際、気候変動以外にも、例えば、今ではすっかり禁止になってしまい、特に都会ではやる場所を探すが大変だという「花火」なんかに対する思い出も、今の子どもとは違うのかな?と思ったり。

自然環境が減ったことや農薬の影響で、どんどん虫が減ってしまっていたり、それらを餌にしていた、小魚やカニとか、カエルとか生き物が減っていたり。

別の記事(FINDERS連載オランダ発スロージャーナリズム「高校球児の投げすぎ」はあり得ない?オランダの名門サッカークラブの子ども向けサマーキャンプで感じた「夏休み観」の違い)でも触れたのですが、今年から猛暑が理由で、夏の小学生のサッカーの試合は禁止にするというお達しが出たり、甲子園にも代表される、炎天下の部活動のやり方が、顧問の先生のオーバーワーク問題と相まって問題視されたり。

まあ、いろいろと今の大人たちが子ども時代の「夏」とはと大きく変わっているような気がします。

 

良い夏の思い出は大人が作るもの?

そこで、今の子どもに「夏の思い出」を作らせるために、何ができるのか?と少し考えたりもします。必ずしも、親である自分が体験したのと同じ思い出を作る必要はないのか? いや、やっぱり「The 日本」という夏の思い出がいいのか? などなど。

夏休みは、実は短い子育てタイムの子どもと、まとまった時間一緒に過ごす、数少ないチャンスかもしれません。なので、親もここぞとばかり張り切って、いろいろなところに連れて行って、大切な体験をさせてあげようと思うのではないでしょうか。

振り返ってみると、自分もいろいろと親にしてもらっていました。毎年、たくさんの場所に連れて行ってもらったし、貴重な体験をさせてもらいました。

でも、今でも一番覚えている、そして今の自分に影響があったのは何かな?と考えると、不思議なことに気がつきました。それは、必ずしも(おそらく)親が意図した「思い出作り」ではない、ということです。

小学校の高学年の時に、母親に連れられて広島の平和資料記念館に行ったことがあります。当時、東京在住の小学生にとっては、広島は非常に遠いところ。そこに行くのに、お金も時間もかかるのは、なんとなく分かります。また小学生の自分には、正直、夏休みという楽しい時間に広島の、しかも「原爆の記録がある恐ろしいところ」には行きたくない、という気持ちが強くありました。なんとなく「楽しくないところ」どころか、「恐ろしいところ」だと分かっていたからです。でも「恐ろしいから行きたくない」ということは、当時小学生だった自分としては、なぜか「言っちゃダメなこと」だと認識していました。おそらく被害者の人に申し訳ないと思ったからだと思います。そのため、いろいろな「行かれない」理由を親に伝えていました。「広島までの新幹線代は別に使った方がいいのではないか?」とか「友達と遊ぶスケジュールがある」とか、そんなことだったと思います。

こうしたことをずーっと言い続けていて、要は「行きたくない」と駄々をこねる自分を、母親は無理やり広島まで連れてきました。さらにその記念館の前でも、いかに「入らない方がいいのか」という理由を伝え続ける自分に、ついには母親がキレたのです。(しょっちゅうキレられていましたが)その時のキレ方は半端なかったのです。

そして記念館は、実際に、やっぱり非常に恐ろしいものでした。かなりの衝撃を受けました。「二度と戦争はしてはいけない」と小学生の時にハッキリと思いました。なので今では、もちろん行って良かったと思っています。そして今でも、「戦争は絶対にしてはいけないものだ」と強く思っています。

だから、おそらく自分の母親が作りたかった「夏の思い出」は目論見どおりで成功したのだと思います。

でも、実は自分が子ども時代の夏の思い出として、一番印象に残っているのは、その記念館の前で「母親がキレた」ということでした。記念館の中の印象は、正直、恐ろしすぎて個別のことはあまり覚えていないのです。結論として、「戦争はダメ」と言う事は、骨身に沁みたのですが。

そして、もう一つはどこへ行ったかは覚えていないのですが、家族旅行の出発の瞬間に、突然、母親が泣き出した事です。確か、「父親&子どもは、自分の準備だけしていればいいが、母親である自分は、家族全員の準備をして、いろいろあって。。。。。とにかく大変なのに、お前たちは勝手だ!」というようなことで泣き出した記憶があります。内容は定かではないし、結局どこへ行ったのかも覚えていないのですが、(いつもはキレまくっている)母親が突然泣き出した!ということだけが印象に残っています。

なので結局、自分の子ども時代の1番の夏の思い出は、「キレる母親」と「泣く母親」です。おそらく、これは親が意図していたものとは全く違うのだと思います。

で、ここまでかなり遠回りしたんですが、結局、親が「良い」と思って作ってあげたい「夏の思い出」と、実際に子ども自身の心に残る「夏の思い出」っていうのは、全然違うのではないか?と言うことなんです。

とすると親が良いと思って、お金をかけたり、遠出したり、気合いをいれたりして作る思い出なんかは、子どもにとっては全く覚えてもない場合だってあるはずなのです。(いや、げんに自分がそうです。誠にすいませんが。)

なので、まあ、そんなに気合い入れなくてもいいよね、と言うか、入れなくていいなじゃない?ってことと、だったら子どもにとっての「良い思い出作り」って、どうやったらいいのかな?と。

で、結局は、親自身が楽しんでれば、それで良いんじゃない?って言うのが、今日の身も蓋もない、結論でして。まあ、そもそも無理に結論を出す必要もないかもしれないけど、せっかく最後まで読んでいただいた、みなさんには、何かしら「お持ち帰り」いただいて、かつ、まさに夏休みの、今、それを実践してもらえると良いのかな?と言う、大きなお世話をしてみようかと思いました。

ちなみに、オランダ人を見ていると、そういう感じはします。何か特別な思い出を作るために、炎天下の大行列に並んだり、高ーいお金を払って、リッチな旅行に行ったり、高いキャンプ道具を揃えたり、っていうのはなさそうでして。とにかく家族で一緒にいて、みんなが楽しむ、というのが1番の思い出作りになると思っているようです。

 

ということで、みなさんは子どもの「夏の思い出作り」どう思いますか? 旅行に行ったりはするものの、案外、子どもと一緒に本気で楽しむ、とか、家族全員と一緒にいる、っていうの、苦手だったり、疲れるからしないかな?と。パパはカメラ係とか、ママは日陰で荷物番とか。まあ、最近の家族はみんなで本気で楽しんだりするんでしょうか。。。

ぜひ、今、まさに実行中のみなさんの夏の思い出づくり、教えてください!