14195104114_e2137d33502014年の2月から育休をとって、もうすぐで丸1年です。本当にあっと言う間でした。でも、1年前に生まれた次男が歩けるようにまでなっているので、それなりに時間が経ったことは実感できます。

この間、海外に長期で滞在したりと、それまでの生活環境、仕事環境、とは全く違うところにいたことで、感じることがありました。

 

■世界との差が広がる教育

子どもをシンガポールの幼稚園に入れてみたことをきっかけに、教育に関して見えることが変わってきました。

日本では2014年の夏にインターナショナル・スクール・オブ・アジア軽井沢がオープンしました。今までの日本にはなかったスタイルでアジア中から生徒を集めることにも成功して話題の学校です。

でも、日本に出来たからすごいのであって、世界的に見ると、(たとえばシンガポールから)それほど斬新ではない気もします。

シンガポールであった、スウェーデン人親子から聞いたスウェーデンの宿題やテストがない教育スタイル、インド出身で英国から来たインド人親子の算数の話など、世界の教育が進化しているのを感じました。それも聞けば、ここ数年(長くても20年以内くらい)の話だというのです。

 

■日本の教育は工業社会に適した人間をつくる

世界では工業化社会が、すでに終わろうとしているにも関わらず、日本では、依然として、マークシートで決まった正解を求める旧来型の教育という感じがします。工業社会で優秀な労働者を排出することを目的とされたものだと感じます。

余談ですが、保育士資格を受験中の身ですが、その試験ですら、マークシートで重箱の隅を突くような細かい知識(だけ)を求められます。そこには、子どもと対話できるか?子どものポテシャルを引き出す心構え、技術があるか?などは一切求められていません。

一方、海外の教育のスタイルは、とっくに寺子屋スタイルになっているのです。日本人からすると、?と思うかもしれませんが、実は、21世紀の教育こそ、寺子屋スタイルに戻るべきだと感じています。

NPO法人CANVASの石戸奈々子の著書『子ども創造力スイッチ!』には”寺子屋の特徴”がこう書かれています。

<1つ目には、個別学習であったということです。今のような一斉授業ではなく、1人1人にあった往来物(教科書のようなもの)が渡され、年齢や習熟度に合わせた学びが提供されていました。

2つ目は、生きる力が育まれていたということです。読み書きそろばんを基本としながらも、日常生活に必要な実践的な知識や道徳律を学ぶ場でした。そして、主体的に学ぶということが重視されていたといいます。

3つ目は、子どもたち同士の教え合い、学び合いが存在していたということです。学年がばらばらの子どもたちが同じ空間で学んでおり、先生だけではなく、年上の子どもたちが、年下の子どもたちに教えてあげていました。>

実は、日本で今の教育スタイルが確立したのが明治維新以降、もっと限定すれば、いわゆる戦後だと思います。そうするとたかだか、わずか70年弱の歴史です。

しかも、戦後確立された産業構造が大きく変わろうとしている、初めての時期に差し掛かっているのが、今の時代です。

ですから、教育も大きく変わらなければならない時期だと感じます。

 

■最先端な場所が学校だった

教育が変わっていないことの象徴として、以下のようにも書かれています

<MITのシーモア・パパート教授は。「19世紀の外科医が現在の手術室にやって来ても何一つ仕事ができないだろう。だが、19世紀の教師がやって来たら、きっと何とかやっていけるだろう。教授法はこの150年で変化していないからだ」と指摘しています。>

確かに、先生の教える技術はあまり変わっていないのかもしれません。日本の学校の先生の役割はグーグルに取って変わられてしまうでしょう。

もう一つ、今の学校を表すエピソードして面白いものがありました。

<昔の学校は最先端の場だったそうです。学校にしかないオルガン、学校にしかない顕微鏡、学校にしかないプール。家では不足する栄養は学校の給食で補われ、村で初めにモノが入る場所が学校だったというのです。学校というのはワクワクする場だったというのです。>

しかし、今はどうでしょう。学校よりも家庭に最先端があるのではないでしょうか。

日本の学校教育自体が、だいぶ時代とかけ離れてしまった感がないででしょうか。もちろん、面白い試みをチャレンジしている学校や教育機関もあるとは思いますが、世界と比べると数、実績、スピード、迫力などが違うように感じました。

 

日本国内だけを見ていると、あまり気づかなかったかもしれませんが、世界の教育の一端に触れたことで、このような見方が非常に腑に落ちるようになりました。

これからの子どもたちは、だまっていても世界と交流する時代になるでしょう。日本から出ていかなくても、どんどん外国が入ってくるのではないかと思うからです。

さて、こんな時代、どんな教育が望ましいのでしょうか。

Petras Gagilas