2910495137_ae663b0b48_b昔、ある幼稚園に見学に行った時のことでした。そこに外国人の男の先生がいたのですが、子どもたちと園庭で遊んでいました。

その遊び方が半端なく本気でした。

園庭での鬼ごっこ。本気で逃げるし、本気で追いかける(ように見える)。子どもの中に大人が混じっている上に、その先生が何をやるにも本気なのでかなり目立っていました。広くない園庭を本気で走りまわる大人。端からみると、ちょっと危ない感じもするのですが、もちろん子どもにぶつからないような配慮もしています。

しかし、何よりもすごいなあと思ったのは、一緒に遊んでいる子どもたちが本気で楽しんでいることでした。

 

■子どもの遊びの環境は激変している?

それを見て以来、自分もうちで子どもと遊ぶ時は本気で遊ぶようにしています。

一般的には最近の子どもは「遊びが足りない」と言われています。それは「三つの間」がなくなったからだと言います。「三つの間」とは、「時間」、「空間」、そして「仲間」です。

「時間」と言えば、確かに最近の子どもは忙しいですよね。小さいうちから習いごとや、塾などに通ったりしている子も多いように思います。

「空間」については、皆さんも実感することが多いのではないでしょうか。昔と比べると大きく環境が変わっていますよね。自然が減っているということも、さることながら、町における路地、空き地など、ちょっとした空間がなくなっており、こちらの方が大きな影響があると考えられています。

そして、最後に「仲間」。少子化という物理的な側面に加えて、一緒の時間を共有できない、コミュニケーションが苦手な子が多い、ゲームなどの一人遊びの時間が多い、といった理由で、こちらも減っているというのです。

でも、実は一番大きな影響を与えているのは、子どもが遊び方を教わることができなくなってしまったから、とも言われています。子どもは遊びの天才とも言われますが、やっぱりいろいろ教わることで、そうした才能を発揮するのだ、という研究論文も見かけました。

子どもに遊び方を教える人が物理的に周りにいなくなり、また精神的にもそうした余裕を持った大人がいないことも関係しているかもしれません。

物理的にも、精神的にも、時間的にも「余白」が人の生活から消えていることが根本原因の気もします。

 

■遊びが足りないと社会性が育たない?

オランダは子どもの学校教育の中に、プログラムとして「遊び」を積極的に取り入れています。(もちろん、全ての学校がそうというわけではないです。)

リヒテルズ直子さんの『オランダの共生教育』(2010 平凡社)には、日本とオランダを比較してこんなことが書かれていました。

<幼稚園や保育園では遊びが持っている社会性などに大変積極的な意義が認められているというのに、小学校に入学すると同時に、科目授業ばかりが重視され、遊びの持っている教育学的な意義がほとんど顧みられないというのも不思議なことです。

しかし、オランダのオールタナティブスクールでは、今でも遊びを学校の活動の中の主要な部分として認め、社会性の発達や科目授業の成果を試す一つの手段として、積極的に利用しています。>

オランダでは、学校で「遊び」を取り入れているというのです。また「遊び」、そのものに「学びの要素」があると書かれています。

<学校教育の中に、遊びを取り入れる意図は、子どもたちに、人間と人間のつながりの基本となる社会性や情緒を発達させる場を与え、お互いに喜怒哀楽を分かちあう機会を得させることである>

というのです。

そう考えると、子どもの「遊びが足りない」ということは、実は大きな問題なのではないかと思うのです。

翻って、本気で園児と遊んでいた幼稚園の先生は、先生として、ものすごく良いことをしているのではないかと思えます。遊びを通して、子どもたちの人格形成ができるのですから。

 

我が家でも、できるだけ本気で子どもと一緒に遊ぶようにしていますが、やっぱり大人にとってはつまらないことや、疲れることも多いです。

先日は、誰がいちばん早く「隣の部屋にあるおもちゃのお鍋を取ってきてツボの上に乗せられるか?」というゲームを考えて、本気で競争しました。

こういうのもちろん疲れますけど、本気でやると結構、面白いです。で、親がちょっと失敗したりすると、子どもがお腹を抱えて笑い転げたりします。こうした子どもの姿を見るのも、結構、楽しいのです。

ということで、子どもとの本気遊びオススメです。

ママが一緒に本気で遊ぶと子どもは絶対、喜びますよ。特にママの苦手な「くだらない遊び」を本気でやるのがポイントです。で、ママはこれができないので、ここでパパの出番になるのです!

Torrey Wiley