今年は年末年始をゆっくりと日本で過ごしました。

大晦日は、紅白を家族で初めから最後までゆっくり見て、元旦に近所に初詣に行く、という日本のお正月の典型的な過ごし方。一昨年は次の年からの移住をすでに決めていたので、「日本の紅白歌合戦を家族で見るのは最後」という気持ちで見ていたのですが、気付いたら前年と全く同じく家族で紅白を楽しむという状態になっていました。

また子どもたちも、日本にいた時の友達と会ったりして、楽しい時間を過ごすことができました。

そんなこんなで、非常に居心地の良い日本への里帰りでした。

ところが、そんな楽しい気分も何処へやら、大荷物やたくさんのお土産を持ってオランダに帰ってくると、予約していたタクシーが来ない、といういつもの?状態にいきなり引き戻されました。

 

■日本を改めて知る

大荷物を持って、長時間のフライトを終え、時差ぼけもあり、疲れてハイテンションになってる子ども二人連れで帰ってきて、しかもこうした、つらい状態が予想できたからこそ、わざわざだいぶ前から予約しているのに、全く予約時間に来ないタクシー。(しかも1度目ではない)

サービスカウンターはあるものの、そこはタクシー会社とは別会社。さらに今回の場合、受付のアフリカ系のおばあさんに、スマホの予約画面を見せても、「目が悪いから」ということで、その画面を見てくれません。

予約状況を話したところ、タクシー会社に連絡をとってはくれましたが、なぜか「40分後に来る」と。

その後、40分経って、明るい中東系の運転手が悪びれることもなく現れました。彼に文句を言ってもしょうがないと思いながらも、「予約していたにもかかわらず、なんで40分もかかるのか?」とか、「予約していた料金より微妙に高くなっている」など細かい不満はかなりあったのですが、まあ、こうしたことに目くじらを立てていては、外国では生活できません。日本ほどサービスが整っている国はないのですから。

さっそく、さきほどまで滞在していた日本の良さが身に染みてきました。

おそらく日本では、こうしたことはありえないですよね。日本にいると、あらゆるサービスが滞りなく行われることがあまりに普通すぎて、その良さに気づくことはほとんどないかと思います。

電車も時刻表通り数分の遅れもなく来るし、年賀状の配達間違いもないし、予約したお店に予約が入っていない、なんてこともないですよね。これらは日本では当たり前すぎるのです。

でも、海外ではこんなことも当たり前ではないのです。

年末年始に軽井沢でインターナショナル校ISAKを作った、小林りんさんの『茶色のシマウマ、世界を変える』(2016 ダイヤモンド社)を読みましたが、小林りんさんが高校生の頃、海外に出たことで日本の良さがわかった、海外に出たことで、自分が日本人だということを強く意識するようになった、と書かれていました。

<カナダの学校でりんが気づいたのは、自分が日本人だったという、あまりにも当たり前の事実だった。>

<りんがピアソン・カレッジで骨身にしみて理解したのは、自分が日本人であるということだけではない。その日本人である自分には、日本人であるという自覚が今まであまりにも希薄だったということを彼女は知った。>

と、おそらく多くの海外で生活したことのある日本人が感じるであろう感覚が書かれています。

日本を出ることで、自分が日本人であることを認識するとともに、日本がいかにすごい国かと感じる人も多いのではないでしょうか。

 

■世界を知ることで日本を知る

話はガラッと変わり、今、うちの長男が通っている学校では、クラスメイトは17人ですが、出身国は12か国にも上ります。(冒頭の写真)ここはオランダ語を中心に教える学校なので、オランダ人がいないのですが、見て分かる通り、シリアなどの難民や移民が多いのです。

ミックスなども多いので、人種と国籍が全然違うこともあります。

おそらくシンガポールなどもこうした状況(多様性)になっていると思いますが、幼少期から、こういう環境で育つことには、とても大きな意味があると思っています。

長男と同じクラスにいるウクライナ人、シリア人、エリトリア人。日本に普通に住んでいたら、会うこともないような国の人ではないでしょうか? それが彼にとっては、みんな身近な友達です。唯一のアジア系で、一番仲の良い子はベトナム人ですが、イタリア人とのハーフです。ベトナムにいたので、ベトナム語、フランス語、パパがイタリア人なので、イタリア語、そしてオランダ語と英語を7歳にして話します。

友達からウクライナの話、シリアの話なども聞いて、おそらく国自体を知らなくても、それぞれ日本とは違うんだな、ということは認識しているようです。

先に挙げた本には多国籍から集まるISAKのサマースクールを経験した子どもたちの、そこでの貴重な経験の様子がこんな風に書かれています。

<子どもたちはそこで、自分とまったく違うモノの見方や考え方に触れる。あるいはその反対に、遠い国から来たクラスメートと自分が同じように考え、感じることを知る。文化の違いに驚くこともあれば、まったく異なる文化と文化との共通点に目を開くこともあるだろう。そういう経験から、学ぶこと、感じること、そして考えることは、子どもたち一人ひとりによって違う。ただ、ひとつだけ確かなのは、すべての子どもが例外なく、自分がそれまで育ってきた環境や文化が、必ずしも唯一無二の絶対ではないという、知識としてはすでに知っていたはずの真実に、本当の意味で触れるということだ。>

まだ小学校一年生の、長男がどこまでこうしたことを認識しているかは不明ですが、環境的には全く同じ状態です。

またISAKのサマースクールが、他のサマースクールとの最大の違いは多国籍の生徒が集まることだということで、以下のようにも書かれています。

<単なる知識を詰め込んでも、人はほとんど変わらない。けれど考えることで人は変わる。さまざまな国の子どもたちと一緒に過ごすことで、彼らは自分が何者かを考え始める。>

ヨーロッパに居て、他国と陸続きで、多くの人種がいる環境に置かれていると、大人であっても、まさにこんなことを考える状態にいます。

 

日本に帰るたびに、街の様子から少子高齢化が進んでいることも実感しますし、特に地方に行くと、空家の数や耕作放棄地が増えている実態などから人口が減っていることも実感します。また、一方で外国人が増えていることも感じます。

大晦日の紅白も、自分が子どもの時に家族で見ていた時の思い出が強いのですが、これは30年、40年以上変わらない、世界的には稀に見るTV視聴習慣なのかと思います。

このように、海外との比較ができるので、日本を客観的に見れるのかな?と思うのですが、子どもの時に、どういった環境で過ごすか?はその先の人生へ与える影響も大きいだろうなと、毎年変わらずに、紅白を見ながら思ったりもしました。

つまり、うちの子ども達は、すでに純粋日本育ちの親である自分たちとは全く違った成長環境にあるのです。

トランプ大統領誕生、中国の台頭、EU崩壊危機、アフリカの急成長などなど、とにかく世界が、今までの延長ではなく、大きく変わっていく気がしています。そんな中で、子どもたちが自分たちで、生きる力をどのように身につけるのか? 楽しみでもありますが…。

ということで、今回はいまだになぜ紅組が勝ったのか謎ですが、いずれにせよ「シン・ゴジラ」や「君の名は」ブームなどにキャッチアップできて、とりあえず良かったなあ、と思っています。

やっぱり日本は居心地がいいんですよね〜。。。オランダで幼少期を過ごすと、大人になったらどう思うんでしょうか。。。