前回のエントリー(「イエナプラン校の神対応にびっくり!新学期が始まった途端の進級が決定」)で触れたように、長男が突然の進級をはたし1週間が経ちました。

新クラスになって、いきなり初日から「楽しかった」と言い出し、まだそこまで仲の良い友達はできてないようですが、とりあえず、なんとなく同い歳の子達、少なくとも「全員歳下」という状態ではなくなり、居心地は悪くはないようです。

ちなみに決して以前のクラスの居心地が悪かったわけでもなく、現に以前のクラスの子とも遊んでいるようです。

旧クラスの担任の先生は、事情説明のメールを旧クラス全保護者に送ってくれましたが、それに乗っかる形で、全保護者に我々(というか、オランダ語がすでにかなりできる妻)から、オランダ語でお礼と、事情の説明をメールしました。

何人かの保護者からは、すぐに励ましのメールや、「サポートするから何でも言って!」みたいなメールが来たりして、ここでもオランダ人コミュニティの有り難みを感じたりしました。(個人差や、地域差も当然あると思いますが)そもそも旧クラスの保護者もいい人ばかりで、結構知り合いも増えてたので、これからもっと知り合いが増えると思うと親的にはラッキーでしたが。

 

■そもそも「人と競争する」という概念があまりない学校

移った先のクラスは、ちょっとお兄ちゃんクラス(8~10歳)だけあって、以前のクラスと比べると少し落ち着いています。人見知りで、シャイな長男にとっては、それもまた良かったようです。

先生も、当然、事情を把握しており、さっそく補助の先生をつけてくれたり、サポートのための教材を教えてくれたりと手厚いサポートです。

この辺も、イエナプランだからなのか、オランダの学校だからなのかは定かではありませんが、いずれにせよ学校全体からの温かいサポートを感じます。

そして、何よりもいいなあと感じているのが、必ずしも成績をあげようとするため、正しい生徒であるためのサポートではない、ということです。

「そもそも、この学年で1年やってダメだったら来年もう1度やればいんだし」という前提があります。これが、実は日本とは大きな違いな気がします。この余裕というか、子どもの成長に合わせることを第一優先にしている感じが、全ての施作に通底しているのが、とても居心地が良いのです。なんか無駄な競争がないというか、他人と比べる必要が全くない、というか。。。

背の順もないし(←これ、全く関係ないと思うかもしれませんが意外と子どもにとっては、気になるポイントだと思います。背が低い=列の前の方っていうのは、結構傷つくものです。自分がそうでしたので実感します)サークル対話(全員の顔が平等に見れるように、円になって座る)だし、黒板に向かっての一斉教育もないし(うちの学校はたまにあるよう)それで、みんなでマインドストームとかやってるようで、競争する要素が全くないんですよね。だいたい、成績表も「昨年から、自分がどれだけ成長したか?」というのを測るものですから。

 

■正しいことを求めすぎるのは、本当に良いのか?

で、ようは学校全体で、こうしなさい、ちゃんとなさい、しっかりしなさい、という教育方針がまるでないのです。いや、本当はあると思いますが、ないように見えるのです。

ここで京都大学名誉教授、故河合隼雄先生の『子供と学校』(岩波新書 1992)から、引用します。立派な教育方針が果たして本当に子どもにとって良いのだろうか?ということが書かれています。

<教育は方向性をもち、目標や理想をかかげねばならない。そのために人間の行為が正の価値をもったもの、負の価値をもったものに分けられる。

しかし、そこで正の価値を追求することだけに焦ってしまうと、とんでもない失敗を犯すことになる。一見、負の価値のように見えるものが、実は個性を伸ばすうえで、大きい価値をもっていることもあるのだ。このパラドックスを大切にしなかったら、真の教育はなし遂げることができない。>

オランダの学校では、このパラドックスを受け入れる余裕がある気がするのです。そしてこれが大したことでないようでいて、実は非常に重要だなと思うのです。一方、日本ではどちらかと言うと、このパラドックスを極限まで無くそうとしている気がします。

さらにこんなことも書いてあります。

<学校へ行かない子が学校へ行けるように、盗みをする子が盗みをしないように、うそをつく子がうそをつかないように、なることはいいことである。しかし、そのことのみを目標として、その目標達成に焦るならば、それはとんでもない失敗につながることを、われわれは経験してきた。負の行為を正の行為に変えるための「臨床」なのではなく、そもそもの価値観そのものについて考え直し、それらの間のダイナミズムやパラドックスについても考え直してみる。このようなことを行ってゆくためには教育学も、臨床心理学も、もう一度、その根底から考え直し、何よりも子どもの実際の行為や、教師の実際のあり方を素にして、現実に即した考えを展開してゆく必要があるのではなかろうか。>

これが書かれたのは、今から25年も前。おそらく、今の日本の学校の現状は、その頃とあまり変わっていないのではないか? いや、もしかしたら、昔以上に極端に「正しい」が求められ過ぎているのではないか?と感じています。

そして、こういうことがオランダの学校には微塵も感じられないのが、何と言っても実は日本との一番大きな違いなのかもしれません。もちろん、これは学校だけの話ではなく、オランダの個人を重視する考え方、生き方にも通底するところがありますので、学校の方針だけを、パッと取って変えることはできないとは思います。

語学ができるようになる、多様性が身につく、などなど海外子育てのメリットが語られますが、もしかしたら上記のような考え方の環境に身をおけることこそ、一番のメリットかな、と思っています。

子育て自体が「楽」になる上に、子ども自身にとっても、自分でも気づいていないパラドックスを、外から強制されることなく、ゆっくりと咀嚼していける環境にあるからです。新しいクラスの友達と遊ぶのが楽しいと言いながら、前のクラスの友達とも遊ぶ、という一見、矛盾するようなことも誰も何も干渉しませんし。

 

全員が同じ「正しいこと」を目指す教育というのは、そこに自然と順位や競争が生まれるのではないかと思います。うちの長男は、極度の負けず嫌いが転じて、負けるのが怖いので競争そのものを絶対にしない、一見無気力な子どもに見えるのですが、こういう子にとっては、オランダの環境は良いんだろうなあと思います。日本にいたら、もしかしたらとっくに潰れていたかもしれない、などとも思うので。

ちなみに、オランダのサッカーが最近弱いのは、こうしたことが遠因にあるのでは?などとも思ったりしてます。

もっとも、本人、サッカーは楽しいらしく、負けず嫌いの本領が発揮されて頑張ってます。

生活における全場面で、「負けるな!」とか、「正しく!」って言われるのは、やっぱり疲れるんですよね。大人でもそうですよね〜。と、脱(落)サラリーマンはしみじみ実感します。