今年も年末年始は日本でゆっくり過ごし、正しい「寝正月」を大満喫。多少、太ってオランダに戻ってきました。

今回、日本で気になったことは3つ。1つ目は、街を歩く高齢者の数。すごい多いなあと思ったのですが、いや、逆に単純に若者が少ないという事かもしれません。そもそも、そう思って見ている自分が45歳の立派に普通のおじさん年齢です。

場所によるかもしれませんが、本当に若者の数が少なくて、高齢者の数が目についたというのが、1つめ。実際、スーパーやコンビニの店員とか高齢者が働いているのがとっても印象に残りました。

2つ目は、無駄な人員?が多いなあと思った事。例えば、スーパーやデパートの駐車場の誘導係。オランダでは、たまに広い動物園とか遊園地の駐車場で見かけるけど、日本ではほとんどのスーパーやデパートに誘導係がいて(1/1日から)しかも、これまた結構な高齢者が多かった印象です。

そして最後3つ目が、空き家の数。どう見ても空き家、人が住んでいない家とか、カーテンがついてなくて人の住んでいる形跡のないアパートの部屋などが、すごい増えたな、という印象を受けました。

まあ、いずれも場所によるのかもしれませんが、この3つが気になりました。

 

■まずは高齢者の仕事をロボットに?

その中で面白いと思った出来事がありました。高齢者の駐車場の誘導係のおじさん。もうほとんど、車がきたら条件反射で腕を大きく回すだけ。そこに通行人がいようと、自転車が通ろうと全くおかまいなしに、手をぐるぐると回して車の走行を促します。

これを見て「ロボットみたいだな」と言ったところ、子どもが「ロボットの方がマシじゃないの?」「だって、ロボットの方が間違えないじゃん」と。

確かに、ほとんどというか全くいる意味がないおじさん。決して状況判断をして、腕を回しているのではなく、条件反射で腕を回しているように見えます。

人口が減っている、と言われる日本でお正月から働く高齢者。そして、ほとんど意味のない無駄な業務をしているように見える感じ。

お正月から、何かかなり複雑な想いを抱かざるおえませんでした。

ロボットが仕事を奪う、と盛んに言われていますが、こうした事例を見ると、ロボットが仕事をした方がよっぽどいいのではないか?と思いました。

瀧本哲史さんの『ミライの授業』(講談社 2016)にも書いてありましたが、今は

<世界全体を巻き込んだ「安い人が選ばれる時代」。人間さえも必要としない「ロボットに仕事を奪われる時代」。>

となっているのを実感したのでした。

 

■切符切りの駅員さんはもういない

そういえば、昔、駅の改札には切符切りの駅員さんがいました。リズム良く「カチカチカチ」とハサミを鳴らしながら、大勢の人の切符を切る技は、まさに職人芸。子どもながらに、切符切りの駅員さんのリズムが楽しかったのを覚えています。

しかし、今、こんな話をしても、もしかしたら親世代の人で覚えている人もいるだろうけど、子どもたちにとっては、完全にチンプンカンプンの世界ですよね。「切符切るの?なんで?」とか、「切符、買うの?」「自動改札じゃないの?」となるでしょう。かつていた、切符切りの駅員さんは完全に自動改札というロボットに、その役目を奪われてしまいました。

もしかしたら、駐車場誘導係は近い将来ロボットに、あるいは完全無人の誘導装置が案内してくれるようになるかもしれないし、スーパーのレジだって、いずれ無人になるでしょう。実際、オランダではすでにそうしたレジがボチボチあります。

 

高齢化して、人口減少も始まっている日本にとっては、こうした流れが良いことなのか? それとも、やっぱりロボットに人の仕事が奪われてしまう、ということになるのか?

今の子どもたちが大人になる時代にはどうなっているのか?

こんなことをリアルに考えた2018年の始まりでした。自分たちの子どもは、ロボットに奪われない仕事が出来るのでしょうか? ということで今年もよろしくお願いします。