PexelsのJulia M Cameronによる写真

多くの知人、友人が被災している九州の大雨災害が心配ですが、皆さんもお気づきのように、ここ数年は、毎年のように未曾有の気候災害が起きてます。まして今年はコロナという、これまた人類初のウィルスに見舞われており、もう確実に今までの延長では対応できない世界になっています。

一方で、人間社会のほうも飛躍的な進化を毎年遂げています。分かりやすく言えば、もう携帯前、いやスマホ前には戻れないし、Skype前とかZoomがない時代には戻れないですよね?AmazonとかのECがない時代にも戻れない、などなどコロナ前後だけで見ても、一気にいろいろな変化が起きました。

また富士通は在宅を基本とし、3年でオフィスを半減すると言って話題になりました。(ちなみに、全く話題になりませんでしたがw、富士通よりだいぶ先に、弊社の親会社ではあるニューロマジック東京も、コロナ後早々に在宅を基本として、オフィス周り、働く環境周りを整備しました。ま、そこは事業規模が全然違うので大手さんがやってくれると、助かる面もたくさんありますので大歓迎です。)

ということで過去の経験だけでは、対応不可能な、もう全く先の読めない時代になっていますよね。たとえば、311だって、ある意味そういう側面もあって、もちろん厳密には今までだってそうだったわけですが、ハッキリ、クッキリ、今までの延長に未来はない、ということが分かったわけです。

(ところが、歴史からは大いに学ぶところがあることが、このコロナでも判明してますので、この辺はまた別の記事で)

 

で、教育が一向に変わらないけど大丈夫?

それでコロナに関しては、世界中の学校も一斉に休校になり、オンラインに移行するのか?しないのか? いやいや移行できないのか?できなくてもやるのか? などなどてんやわんやになったわけです。

そこで、当方もオランダの事例を日本にも紹介したりしました。

でも、面白いのは、世界ではオンラインをやるのか?やらないのか?っていうことを、さっさと決めて、実行に移すのに対して、日本は、「じゃあ、他国はどうなっているのか?」「制度的にはできるのか?」「できない子がいるけど、どうしたらよいのか?」っていうことに、一生懸命で、実際にやれるようになったら、「はい、休校は終わりです」ってな感じなっているように感じること。

外国では、あんまり他国の例を気にしている感じがしません。(いや、どっかのことは気にしているんだろうけど、少なくとも日本の事例が参考にされているという逆の状況は聞きません。)

とにかく、どこの国も「前例ないけど、やれることやりましょう」っていう感じだと思います。

そうやって考えると、オランダは、もともと結構ICT教育を取り入れていたし、うちの学校は時間割も自分たちで決めるような仕組みだったりで、大きな混乱もなく、さっさとオンラインに移行しました。

もうコロナ前から教育が、昔の、少なくとも自分が日本で受けていた教育とは全然違っていたのです。

教育の目的が、「新しい時代に適応できる人間を育てる」ということだとしたら、こんな激変している時代に、40,50年まえから変わらない教育をしていたら、そりゃあ、適応できるわけないですよね?

でも、実際に日本で起こっていることは、こういうことですよね。だから、今や日本のプレゼンスは明らかに世界では落ちています。注目されなくなっています。自分が、働き始めた20年前とくらべても、明らかに違います。

 

「人のふりした猿になるな」

で、ご存知の方も多いと思いますが、瀧本哲史さんの「2012年6月30日、東京大学の伊藤謝恩ホールにて行われた伝説の講義」なるものがあります。当時、20代以下限定で開催された講義です。その講義は8年後の2020年6月30日に、ここでそれぞれの成長を確認するために再会しよう、と締め括られたわけですが、当の瀧本さんは惜しくも昨年、お亡くなりになりました。

それが6/30日に音声ブックで限定公開されたのです。聴かれた方も多いのではないでしょうか。

ちなみに、全文書き起こしはここで読めます

この中で、瀧本さんは

<仏教には「自燈明」という言葉があります。開祖のブッダが亡くなるとき、弟子たちに「これから私たちは何を頼って生きていけばいいのでしょうか」と聞かれて、ブッダは「わしが死んだら、自分で考えて自分で決めろ。大事なことはすべて教えた」と答えました。

自ら明かりを燈せ。つまり、他の誰かがつけてくれた明かりに従って進むのではなく、自らが明かりになれ、と突き放したわけです。これがきわめて大事だと僕は思いますね。>

と言っています。

さらに、

<次の日本を支える世代である彼らが自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたいと思っています。実際の話、「自由人」とか「成人」とか言ってますけど、まだ人間になってない人もたくさんいるんですね。単に人の言うこと聞いて「アウーアウー」みたいな(会場笑)。

外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいてですね、そういう人たちに「早く人間になってくれ」ということです。厳しいことを言うと、「自分で考えてない人は、人じゃない」わけです。

かつてアリストテレスは「奴隷とは何か?」という問いに、「ものを言う道具」と答えました。僕がいまの世の中を見ても、けっこうな数の「ものを言う道具」の人がいます。一応ものは言って人間のかたちはしてるんですけど、自分の頭で考えてない人があまりに多いので、そういう人を人間にしなきゃいけないという問題意識というか、使命感もあります。

現代社会では、しっかり自分の頭で考えられない人間は、「コモディティ(替えのきく人材)」として買い叩かれるだけですからね。>

とも話しています。

さて、これを聞いて思うのは、今の教育はそもそも「自分で考える力」を鍛えているのではなく、単に正解(とされるものを)覚えている、暗記することだけをしていないか? 自分で考えることをせずに、人の言うことを聞いているだけではないか?と思いました。

こんなに時代が激変していて、前例が全く役に立たない時代に「自分で考えられない」というのは致命的です。下手したら命に関わります。大袈裟ではなく。大雨災害なんかでも、自分で考えて行動しないと危険ですよね。

 

実は、自分、瀧本さんと同級生。同い年なんです。ということで、そろそろ自分も子どもたちや、若い人に、「自分で考えられる人間になる」ための環境を作っていかないとなあ、と思っています。

瀧本さんの講義の中でも言ってますが、「自分で考えられる若者」を増やすことが、結果的には、良い社会を作っていくための、一番の早道だと思うからです。

確かに、「世界一子どもが幸せな国」と言われるオランダなんかでは、その辺を実感してますので。

ということで瀧本さんの講義、保護者のかたこそ、ぜひ読んで(&聞いて)みてください。