今日から冬時間になったヨーロッパ。時差は8時間になります。ので、働き方改革などのおかげで残業がしにくい状況下、申し訳ないのですがZoomミーティングなどは日本時間17時以降にお願いできるとありがたいです。

で、こちらオランダでは新型コロナは引き続き感染拡大中。残念ながら(部分的)ロックダウンであるものの、なんか治る気配が全くありません。もう暗くて、寒くて、雨も多い冬を迎えることですし、文字通りの冬眠に入るしかなさそうです。

そんな中、長男の友人が泊まりにきました。(子どもの生活は、今のところまだ通常通り)

 

オランダは100人いれば100通りの教育

で、その友達ですが聞くところによると、ドルトンの小学校に通う友達。

オランダでは通う学校は基本的に自由に選べます。もちろん定員があったり、現実的に毎日の送り迎えなどがあるので、大体は近いところに通う人が多いですが。地域によっても違うと思いますが、うちの通学圏内には学校がかなり多いです。しかも、うちが通うイエナプランをはじめ、モンテッソーリ、ドルトン、フリースクール、その他にもユニークな学校がかなりあります。というか、2つとして同じ学校はない、と言った方が良いかもしれません。

特に最近、日本ではオランダの教育=イエナプランというような誤解があるとも聞いたことがありますが、イエナプランはオランダでも超マイナー。「イエナプラン?」というオランダ人もいるほどで、ユトレヒトには公立35校ありますが、そのうち3校がイエナプラン。しかも、「来年からイエナプランのやり方を取り入れます」とか、「うちは少しイエナプラン(モンテッソーリ)を取り入れてます」「イエナプランとモンテッソーリの良いところ取り」同じ建物内でも「1Fはイエナプラン校、 2Fはドルトン」みたいなところも多く、本当に学校によっての違いが大きいのです。自分が過去に見比べた時の感想でも「同じイエナプランを名乗っていても学校によって全然違う!」という印象でした。なので、学校が自由に選べるのは良いことだなあと思いますが。

そうした学校が同じエリア内に複数あるので、近くに住んでいる子どもでも学校が違うと言うことが普通にあります。で、今回遊びに来た子も、近くに住むものの通う学校は違う子。そもそも長男的には、その子がどの学校に通うのかも知らなかったようです。単純に同じサッカークラブの友達なので。

そしてその子がオランダにしては珍しくw? とっても躾がされていると言うか、うちのチビも一緒に遊んでもらってすっかり、その子に懐いたりして、しっかりしして非常に好感が持てる子。もうビックリするほどです。で、その子が通っている学校がドルトンだと言うのです。

ちなみに、その子は「今日、泊まらせてもらうお礼にチョコレートを買ってきても良い?」とか言ってきて、しかも、そのチョコレートをちゃんと気の利いた店で買ってきたのです。ちなみに普通のオランダ人だと、全く悪びれずに大人でも最寄りのスーパーで買ってきて「安かったから!」とか言って、値段付きのまま特売のケーキを渡されたりしますw

 

ドルトンとは?

おそらく日本では最近でこそ、少し有名になったイエナプラン以上に、全く名前が知られていないと思われるドルトンですが、これがなかなかユニークな教育方針です。少しイエナプランに似ているところもあります。

以下、簡単にwikiからの引用です。

<ドルトン・プランは彼女が教師としての最初の赴任校で1人で40人の生徒を指導する体験をしたことがきっかけとなり、その後学んだマリア・モンテッソーリの自発性、自主性を重んじる着想(モンテッソーリ教育)やジョン・デューイの問題解決学習などの長所を取り入れて練られたものである。クラスの人数が多くとも児童一人一人の能力を伸ばす目的で考案された。中心になるのは自由と協同という考えである。>

とあります。

<生徒は、教師と自分の立てた学習計画を元に一種の契約をする。1ヵ月間にどの科目をどこまで学習を進めるかという契約で、コントラクト (Contract) と呼ぶ。国語、算数、理科、社会それぞれの教科ごとに箱に分けられ、学習問題に対する答えや教師への質問を記入するカードが用意されている。生徒は毎日、学習の進行に合わせて、自分で該当するカードを取り出して自習する。>

と、こんな感じで結構イエナプランに似ているところもあります。が、日本ではドルトン=「先生が楽をするためのもの」と捉えられ、さらには「生徒の学力が伸びない、進学に不利である」等の批判から教育の表舞台から排除されてしまったそうです。(2019年に河合塾がドルトン・プラン教育を行う中高一貫校ドルトン東京学園中等部・高等部東京都調布市に開校したそうです。)

なんか、いわゆる「ゆとり教育」(も、そもそも本来の狙いが完全に誤解されて、実際に実行できなかったことにより、なくなってしまいましたが)を思い出しました。

で、wikiにはこれに続いて面白い記述があります。ちょっと長いのですが少し編集しつつ引用してみます。

<1928年、永野修身海軍兵学校長に就任した際、自学自習を骨子とするダルトン式教育を海軍兵学校において採用した。が、永野が軍令部次長に転じた後に消滅してしまった。消滅した大きな原因は、海軍兵学校の時間割の関係から必修科目が多く、生徒たちが自由に議論したり、勉強をする為に必要な自由時間が不足していたことが理由だといわれている。また、海軍兵学校は大学のように生徒が自由闊達に自主探求・自主創造を通じ新しい仕組みや原理を発明したり、幅広い意味で、国家の各方面で活躍する人材を育てる為の教育機関ではなく、あくまで軍隊という組織を動かすための駒を育てることが大きな使命であり、軍隊という小さな世界の人材を育てる為の教育には向かなかったという意見もある。55期(吉田俊雄によれば58期から60期)を中心とする永野の教え子達からは、永野校長時代の兵学校の校風を絶賛する声が大きい一方、他律的な型嵌め教育を受けていないために任官後他の期の士官からは上官に対する意見(提案)が多く「理屈っぽく、意見が多い」と評判が悪かったという。

但し、ダルトン教育を受けた者の中には新たな爆撃術の研究開発を行った関衛など数々の有能な人材を輩出している。また、太平洋戦争での惨敗の反省から当時の海軍の教育政策の問題と組織体質が問題視されており、現場の指揮官や若い士官が提案をしても退けられてしまい、年功序列・権威主義が優先され、組織としての柔軟さが欠けていたといい、敗因にも影響しているのではないかと述べられている他、アメリカ軍に比べ日本軍の戦術・戦法は教科書通りの戦法を繰り返すだけで、アメリカ軍に簡単に戦術・戦法を見透かされていたことなどから、永野が実施したドルトン・プランによって各人の創造性や専門性を開花させ、新しい戦術・戦法を生み出そうとした柔軟な発想の教育改革は海軍兵学校の歴史の中でも驚異的な革新性であり珍しい事例だという意見もある。>

後半で触れられている部分なんか、そっくりそのまま現代の日本社会のことを言っているような感じはしないでしょうか??まあ、戦時中から何も変わっていないのかもしれませんが…。

もしかしたら「ゆとり世代」が、これから社会で大活躍する可能性も多いにあるのでは?と思ったりしました。(本来の「ゆとり教育」の狙いは、良いものだと思います)

 

こういうのを見てみると人材の多様化というのは、何も外国人を登用するという意味だけではなく、日本における教育の多様化っていうのをもっともっと推進してもいいのでは?とも感じます。

もちろん、こうしたオルタナティブ教育だけが万能だ!最高だ!という意味ではなく、社会全体で見たときには、いろいろな教育を受けてきた子どもが混ざっている社会の方がしなやかで、そして楽しいのでは?と思う、という意味です。うちの子どもの学校にも、めちゃくちゃな子だっていっぱいいますw

さらにオランダでも、こういうオルタナティブ教育を受けてきた子どもが中等教育に行くときに(いわゆる一斉教育的なものに)馴染めなくてドロップアウトしちゃう、という問題もあったりするのですが、日本と比べると、まだそういう子どもたちの社会での居場所があるような気がします。

ドルトンは残念ながら日本の教育の表舞台からは消えてしまったということですが、日本の軍隊にも取り入れられていたとは驚きですね。新設された学校に非常に興味あります。どなたか実情を知っている方がいたらぜひ教えてください。

いずれにしても、「教育と社会はつながっている」ということを再認識した感じがします。ということでドルトン教育をきっかけに、教育と社会の関わりを考えてみました。